こんにちは! せがひろです。
今回は、「世界はなぜ地獄になるのか」
これについて解説します。
人種や性別などによらず、
誰もが自分らしく生きられる
社会は素晴らしいです。
しかし、そうした社会の実現を目指す
社会主義の運動は、
Cancel Cultureという
異形のものへと変貌していきました。
(Cancel Culture=キャンセルカルチャー
社会的に好ましくない発言や
行動をしたとして個、
人や組織をSNSなどで糾弾し、
不買運動を起こしたり、
ボイコットしたりすることで、
社会から排除しようとする動きのこと。)
そして今日もSNSでは罵詈雑言の
応酬が続いています。
私たちは天国と地獄が
一体となった
この現代におけるUDystopiaを
どう生きればいいのか?
(UDystopia=ユーディストピア
ユートピア(理想郷)と
ディストピア(暗黒郷)が
同時に訪れるという造語)
今回の記事では現代を幸せに
生き抜くための知識を
7つのポイントに
まとめています。

目次
①リベラルが世界を生きづらくする
著者は、リベラルのことを
「自分らしく生きたい」という
価値観だと定義しています。
現代人は自分らしく
生きたいという価値観のことを
当たり前だと思っているでしょう。
しかし、長い人類史で見ると
大半は個人が、
自分らしく生きることなど
到底できなかったです。
生まれた時に身分や職業、
結婚相手が決まっている方が、
人類史では
当たり前の価値観でした。
自分らしさを追求できる
ようになったのは、
第二次世界大戦が終わり、
とてつもなく
豊かで平和な時代が到来した
1960年代末からです。
自分らしく生きることは、
全てが生まれた瞬間に決まっていて
自由で幸せな世界に感じます。
しかし、自由で自分らしく
生きる時代には、
その時代なりの生き辛さや問題が
発生するのが現実です。
そしてリベラルを自称する知識人は
この自由で自分らしくあるが故に
起きる問題を無視し続けています。
例えば、あなたが「やりたいこと」を
やる自由があるように、
その裏側で、誰かが「やらせたくない」
自由もあるということです。
もしかすると、そもそも問題に気づいて
すらいないかもしれないです。
しかし、現代社会を生きていく上で
リベラルによる問題を把握することは
絶対に必要です。
まずは、自由で自分らしくを
認めれば認めるほど、
問題が発生してしまうという事実を
認識しましょう。
それこそが幸せを手にするための
第一歩目なのです。
②リベラルによる4つの問題
自由で自分らしく
生きる世界は、
実現させようとすれば
するほど、
新たな問題を生み出します。
その問題は次の4つです。
リベラル化によって、
①格差が拡大する
②社会がより複雑になる
③孤独になる
④自分らしさが衝突する
それぞれ解説していきます。
1つ目は、リベラル化によって
格差が拡大することです。
行動遺伝学の多くの研究によって
社会がリベラルになると、
遺伝の影響が強まり男女の差が
大きくなることが示されています。
これは考えてみれば当たり前で、
自分らしく生きられる社会では
持って生まれた才能を
誰もが開花させられます。
しかし、人が現代社会で優位になる
才能を持って生まれるわけではありません。
実際に知識社会に適用する能力には
かなり個人差があります。
その結果、社会が豊かで
公平になればなるほど、
子育てなどの環境による影響が
減って遺伝による影響が大きくなります。
リベラル化で
男女の差が拡大する理由も、
これに依存します。
男性と女性では一定程度、
好きなことや得意なことことに
違いがあります。
男女の知能の変化は同じですが、
男性は論理や数学的知能が高いです。
それに対して女性は、
言語的知能が高いです。
その結果、経済的に発展した国の方が
共通テストの平均点が高くなると同時に、
男性は数学、女性は国語の成績が
良い傾向が見られます。
そして私たち人間は性格や才能、
体力や肉体など、
かなりの要素が
遺伝に左右されます。
現代社会で生き抜く上では、
この生まれながらの個人差が
大人になるにつれてより、
大きな差を生み出すと考えてください。
自分らしく自由な世界が
実現すればするほど、
生まれながらの才能による差が
広がることを認識してください。
そしてこの違いが、
結果として
経済格差に繋がることを
理解しましょう。
2つ目は、リベラル化によって
社会がより複雑になることです。
前近代的な社会では
個人は家や村や組み合いなどの
小規模な共同体に
所属していました。
だから、社会を統制するには
共同体の中にある
数名の有力者にだけ
話をつければよかったわけです。
しかし、リベラルな社会では
個人は共同体から解放され、
一人一人が固有の利害を
持つようになります。
その結果、従来の仕組みで
利害調整することが困難になって、
政治は機能不全を起こします。
3つ目は、リベラル化によって
私たちは孤独になることです。
自由は必ずしも無条件で
良いというものではありません。
そして、共同体の拘束は
無条件に悪ではありません。
あることを
自由意思で選択すれば、
当然、その結果に自分自身が
責任を負うことになります。
逆に言えば、自分で選択した
わけではないことに
責任を持つ必要はありません。
要は、共同体は自己責任の圧から
私たちを守ってくれていました。
しかし、リベラルな社会では
共同体による防衛がなくなります。
そして自由人と自由人の出会いは
共同体に比べて刹那的な出会いになって、
長期の関係を作りづらいです。
その結果、日本だけではなく
世界中の先進国で、
婚姻率や出生率が低下しています。
4つ目は、リベラル化によって
自分らしさが衝突することです。
自分らしく生きるためには
自分らしさを
見つけなくてはいけないです。
自分らしさを見つける時、
多数派の自分らしさは仕事や
趣味などに活かしやすいです。
しかし、少数派の自分らしさは、
集団の中で浮いた存在として
認識されがちです。
そんな状況で少数派が
自分らしさを訴えて、
社会に受け入れさせようとする
アイデンティティ政治を行うと
衝突が生まれます。
その衝突は多数派と少数派の
間だけではなく、
違う価値観を持った少数派
同士の間でも起きてしまいます。
その結果、
世界中で衝突が増加します。
以上4つが、リベラルによって
起きる問題です。
誰もが自由に生きられる社会は、
奴隷時代に比べると
確実にいい社会です。
しかし、光が強ければ強いほど
影も濃くなっていきます。
リベラはいいことばかりではなく
リベラルによって
起きる問題があることを
しっかりと理解して誤解ください。
③リベラルへの誤解
リベラルを自称する人たちは
多くの基本的なことを間違えています。
その中で最も大きな間違いは
リベラルな政策によって、
格差や生きづらさを
解消できることです。
リベラルを自称する人はリベラル化が
格差を拡大しているにも関わらず、
リベラルな政策で格差を
解消できるはずだと強固な
信念を持っています。
一部の過激なリベラルの主張は
世界は闇の政府によって
支配されているという陰謀論と
不気味なほどに似ています。
私たちは今、知識社会かグローバルか
リベラルかという、
人類史的な変化の真っただ中にいます。
この変化は誰もが適用できる
変化ではないです。
その結果が欧米先進国を
中心に起きている
バックラッシュと呼ばれる
反発運動です。
社会がリベラル化すればするほど、
そこからドロップアウトする人は
増えていきます。
その典型的な存在が恋愛の自由市場から
脱落してしまった若い男性です。
日本ではモテ/非モテ問題と
呼ばれています。
英語圏では自虐的に
インセルと自称しています。
インセルを和訳すると
不本意な金欲主義者です。
そしてインセルの一部が
社会に強い恨みを持ち、
無差別殺人のような惨劇を
実際に起こしています。
日本でも近年重大事件が
目立つようになったのは、
社会からも、
性愛からも排除された人の
母数が増えているからです。
誰もが自分らしく生きられる社会は
素晴らしい社会だと思います。
しかし、そのような社会を目指す
社会正義の運動が、
キャンセルカルチャーという
異形の悪を生み出しています。
ちなみに、
キャンセルカルチャーとは、
特定の人物の発言や行動を
SNSなどで追い詰めることです。
特に政治家や芸能人や
インフルエンサーのような
著名人や企業が
対象になりやすいです。
対象にされると、
SNSで悪が集まり集団不売運動、
放送中の番組を中止させられて、
社会から排除されます。
リベラルな政策で格差を
解消できるはずという考えは
紛れもない誤解です。
リベラルで生まれる苦しみが
あることを理解してください。
④いじめをエンタメ化する
「自分らしく自由」が
引き起こした1つの例が、
ミニコミの編集者兼、
フリーライターだった
村上氏が書いた「いじめ紀行」です。
いじめ紀行は、いじめた側の人が
その後どんな大人になったのか?
そしていじめられた側の人が
その後どうやっていじめを切り抜け
たのかをテーマに書かれています。
そんないじめ紀行の中で村上氏は、
「いじめってエンターテインメント」
といった挑発的な
表現も使っています。
そしていじめ紀行では、
ミュージシャンの小山田氏の記事が
大きな話題を呼びました。
小山田氏は東京オリンピック、
パラリンピックの開会式で、
楽曲の作曲を担当する
ことになっていた人物です。
そんな小山田が過去にいじめの
加害者であったことを
自慢気にインタビューに答えた内容が
記事に書かれました。
言論の自由、表現の自由などと、
人々が自由を主張した結果、
いじめの加害者が過去の経験を
インタビューで答えて
世の中に発信をしています。
この記事を見たいじめの被害者、
その家族や友人は
どのように感じるのか?
誰かの自由の裏側には
誰かの不幸があるかもしれません。
それでも全人類に自由を求める
リベラルが正しいと言えるのか?
ライターの村上氏は、当初、小田氏と
いじめの被害者の対談形式を
記事にしたいと考えていました。
しかし、いじめの被害者にこの話を
持っていった際、
被害者は対談を断っています。
被害者にとっては、
それほどに嫌な過去です。
それにも関わらず小山田氏の
単独インタビュー形式に内容を変更して
いじめを世の中に発信しました。
自由であることを
全否定はしないです。
しかし、自由の中にも
秩序は必要です。
リベラルが生きすぎると、
世の中に苦しみや争いを生み出す
典型として「いじめ紀行」の失敗を
覚えておいてください。
そして自分の自由を主張する時には、
自分の自由のために誰かが苦しんで
いないのか考えられる人でいてください。
⑤他者とのコミュニケーションから撤退する
現代社会はリベラルによって
個人の自由を主張し合います。
言論や思想の自由を盾にして
誰かを否定する文化が広がっています。
今までであれば誰かの言動が
気に食わないと感じても、
面と向かって直接言わない限りは
相手に自分の言葉を届けることは
できませんでした。
しかし、現代ではSNSを使って直接、
本人に自分の言葉を届けることができます。
その結果、著名人のスキャンダルや
一般人の悪質な犯罪などに対して
SNS上で否定的な声が
膨れ上がるようになりました。
まさに自由や正義感を立てにした
悪質な否定思想です。
そして、もはやこの否定思想を
止めることはできないです。
ちなみに、SNSで誰かを傷つけることは
誰かが故意に行った行為ではないことも
覚えておいてください。
ただ単に自分の考えを発信したら、
みず知らずの反対意見を持った人が
発信を見て気分を害する可能性があります。
要は、SNSでは自己主張をするだけで
誰かを傷つける可能性があります。
身体的な加害行為は傷があるか
どうかで判別がしやすいです。
それに対して精神的な加害行為は
第三者からは本当か?嘘か?
判断がつかないものです。
そのため被害者の自己申告で
被害者が傷ついたといえば、
加害行為が立証されます。
こんなに生きづらい時代はないです。
自分は良かれと思って
口にした言葉ですら、
相手が傷ついたといえば、
加害行為になります。
世間的な多数派意見を口にしても、
少数派の反対意見の人が
傷ついたと言えば加害行為になります。
そうなると安心して口できる意見は
どんどん少なくなってきます。
その結果、自由を求めているはずの
リベラルによって言論の自由が、
妨げられるようになります。
SNSの発達、少数派意見も尊重する
自由主義によってで、
現代では安心して自由に
発言できる場所はないです。
こんな現代で幸せに
生きたいのであれば、
他人との必要以上の
コミュニケーションを避ける
以外の方法はないです。
他者とのコミュニケーションから
撤退して本当に気心の知れた人、
意見が対立しても
後に引きずることのない人とだけ
付き合うしかありませんね。
⑥SNS上の極端な人と関わらないために
SNSには自分の正義を振りかざす
極端な人がたくさんいます。
そして極端な人の多くは
どうしようもない社会の落ちこぼれや、
カルト的な異常な信念を持つ
世間的少数派の人ではありません。
SNSの炎上を研究する山口氏によると、
SNSの炎上に加担するのは、
「男性」「世帯年収が高い」
「主任・係長クラス以上の役職」
という属性の人です。
仕事である程度、立場ある
ポジションにいても、
年収がある程度高くても、
同居する家族がいても、
2時間もあればSNSで
数百件の書き込みはできます。
つまり、暇人でなくても
SNSの炎上に加担はできます。
ちなみに、年収が高く
ある程度の役職にある人が、
わざわざSNSで炎上に加担する
なんて信じられないという人もいます。
SNSの援助は社会的な地位が低く
社会に不平不満を抱えている人が
関係していると
思っている人も多くいます。
しかし、そんなことはありません。
どうしても信じられないと思う人は
会社の上司を想像してください。
自分の自慢話ですぐにマウントを
取ろうとする上司が、
あなたの近くにいないですか?
部下を否定したり、会社の不平不満を
口にする上司はいないですか?
多くの職場にこのような
上司は存在します。
SNSが普及する以前では、
このような上司の被害は
会社の中だけで止まっていました。
しかし、SNSの普及によって、
このような人がSNS上でも
仕事と同じように
他者を否定するようになりました。
他者を否定することで
自分の正当性をアピールしたり、
自分は凄い、自分は偉いという
権威誇示をするようになりました。
そして、このような人は
自分の意見を変えることは
絶対にしないです。
もし、それは違うと否定された場合には、
常識を逸した行動してきます。
だからこそ、SNSで極端な人か
逃れるためには、
極端な人とは深く関わらないことを
意識してください。
自分の発信に否定的な言葉が
来ても反対意見を返さないでください。
ブロックをするか、無視をして、
とにかく距離を置く以外の方法はないです。
言われっぱなしだと悔しさや
悲しさが残るかもしれないです。
しかし、反論すれば、その何倍も
嫌な思いをすることになります。
SNSは、そういうものだと
考えて使うようにしてください。
3つの政治勢力
社会がより、豊かでより平和で、
よりリベラルになれば、
私たちの生活レベルは
全体として向上します。
しかし、それが様々な問題を
引き起こすことも事実です。
ちなみに、この問題の厄介なところは、
「だったらどうすればいいのか!?」
という問に対する答えがないことです。
アメリカの哲学者、
フランシス・フクヤマさんは、
戦後社会の繁栄を支えてきた
リベラルデモクラシーが、
危機に陥っている
現状を論じています。
リベラリズムは主に3つの政治勢力から
リベラル化が不徹底だったとして、
あるいは、行き過ぎだとして批判や
攻撃を受けています。
3つの政治勢力とは、
・リバタリアン
・コミュニタリアン
・エガリタアン
です。
リバタリアンは、
自由を市場のものとする政治勢力です。
国家のや規制を最小化し
個人の自由を極限まで
拡大することを求めています。
コミュニタリアンは、
共同体主義の政治勢力です。
人間は社会的な生き物であり、
共同体から切り離されて生きていく
ことはできないと主張しています。
エガリタアンは、
社会的政治的平等を重視する
政治勢力です。
マジョリティとマイノリティの
間にある構造的差別の解消を求めています。
左派や進歩派は1人ひとりの
アイデンティティを重視し、
小さな差別でも
許されないと考えています。
そして、フランシス・フクヤマさんは、
リバタリアンが掲げる自由、
コミュニタリアンが求める共同体、
エガリテアンの社会主義の
3つ全てにまっとうな
大義があるとしています。
しかし、複雑化する現代社会において
この3つ全てを同時に実現する
魔法のような政治制度は存在しない。
ですからこそ、誰もが不満を抱えつつ
ほどほどのところで妥協するしかないです。
これが「寛容」です。
要するに、あなたが今
生きているリベラルな社会は、
人類史的には
とてつもなく恵まれた環境です。
だからこそ、
実現不可能な理想を振りかざし、、
いたずらに社会を
混乱させることはやめてください。
今の自分に満足し、小さな改善を
積み重ねることを大切にしてください。
自由を盾に争いを起こす人には
ならないでください。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
科学技術の進歩により
現代社会は信じられないほどの
豊かさと快適さを実現しました。
過去の人々から見た現代は
まさに天国と言ってもいいほどの環境です。
しかし、現代人は、
この事実を忘れがちです。
自分の身の周りにある幸せを
当たり前だと考え、
既に幸せなはずなのに、
もっと幸せになりたいと願います。
そして自由を主張し、
自分の自由を貫くために、
他人の自由を奪います。
これはまさに地獄のような世界です。
つまり、現代は天国と地獄が
一体となった世界です。
そして天国と地獄が一体となった
世界で幸せを手にする方法は、
この世界にうまく
適用するしかありません。
地雷を踏むことなく、
平穏な人生を歩むことが、
現代社会で幸せを実感する
唯一の方法だと考えてください。
今以上を求めなくても、
あなたは既に幸せな世界を
生きていることを忘れないでください。
美味しいものを食べたいと思っても、
食べられる量には限界があります。
無制限に幸せを望むのではなく
自分の掌の幸せを求めるのが、
本当の幸せなんじゃないかと
思いました。
この内容が参考になれば嬉しいです。
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