【書評】「韓非子」から才能・意欲に頼らない凡人の勝ち方を学ぼう

こんにちは! せがひろです。

今回は、古代中国の思想家韓非の著作

「韓非子」を取り上げたいと思います。

どんな作品かと言いますと、

人間の行動心理を鋭く分析し、

厳しい現実社会を賢く生き抜く

術を解いた作品です。

・特に組織をマネジメントする立場にある人

・人から警戒され足を引っ張られやすい人

・上司や目上の人との関係構築が苦手な人

期待通りの成果や評価が

得られないと悩んでいる人に、

ぜひ、読んで頂きたい一冊です。

中国の春秋戦国時代に現れた学者集団「諸子百家」

韓非は、その代表的人物で、

中華統一を成し遂げた秦の始皇帝や、

天才軍師の諸葛孔明に

影響を与えたことで知られています。

そんな彼の著作「韓非子」は、

生存競争にさらされ、

もはや誰も信用できないという

厳しい状況下においてこそ、

力を発揮する!

一押しの古典になります。

なるべく、分かりやすいように

まとめていますので、

「凡人の勝ち方」を

ぜひ、知ってください。

韓非という人物

韓非は、紀元前3世紀ごろ韓という国の

王族として誕生しました。

当時、中国では戦国の七雄と呼ばれる

7つの国が抗争に明け暮れ、覇権を争っていました。

韓は、その一角をなす諸侯国で、

経済的にも、文化的にも、

発展していた地域でしたが、

隣接する二大国、

秦と楚からの圧力によって、

次第に弱体化し、戦国の七雄

最初の消滅国という運命をたどります。

今回の主人公「韓非」が登場するのは、

そんな韓という国が、

今まさに戦乱の表舞台から

姿を消そうとしている時でした。

司馬遷によって書かれた歴史書

史記によれば、

韓非は言語障害の一つ

吃音を持っており、

人との会話が苦手であったと

伝えられています。

一方、学問への情熱は人一倍あり、

衰退しつつあった祖国を救うため、

性悪説を唱えた思想家

「荀子(じゅんし)」の元で学びました。

その時、同門には

秦の天下統一に貢献し、

後に宰相に抜擢される

李斯がいました。

司馬遷の指揮には、

若き日の李斯について、

こんなエピソードが

残されています。

ある時、地元の役人となった李斯は、

便所に住んでいるネズミを見て、こう思った。

便所のネズミは、常に人や犬に怯え

汚いものを食べている。

すると今度は、食料庫に住んでいる

ネズミを見てこう思った。

食料庫に住んでいるネズミは、

腹いっぱいになるまで穀物を食べて、

人や犬などを心配せず

悠々と暮らしている。

結局のところ、

人間もネズミと同じではないか?

賢さも、愚かさも、環境で決まるのだ。

それから李斯は役所をやめ

荀子の門を叩いたのであった。

このエピソードから、

当時の李斯がどれほど悲惨な状況にあり、

その環境から抜け出したかったのかが伺えます。

国家復興のために純粋に学問を志す

王族出身の韓非。

立身出世のために泥臭く学問をする

平民出身の李斯。

光と影のように対照的であった

2人の運命は、

やがて交錯し、

思わぬ展開へと導かれていきます。

荀子のもとで学び、

首都に戻った韓非は、

敵国である秦に、

次々と領土を奪われている

現状に愕然としました。

そこで彼は法律を定めた上で

有能な人材を登用し、

富国強兵を

図るべきであると意見書を提出。

しかし、当時の韓の国王は、

自分に媚びへつらう

人間ばかりを周りに置き、

韓非の意見に一切

耳を傾けようとしませんでした。

国家が消滅しかかっている

こんな一大事に、

なぜ国王はうわべだけを

飾っている者たちに権限を与え、

彼らの言いなりになっているのか?

怒りを心中に収めておくことが

できなくなった。

神秘は、その憤懣を力に変え、

膨大な論文を書き上げました。

やがてその著作が敵国秦に伝わると、

国王「嬴政(えいせい=のちの始皇帝)」の

目に留まります。

記録によれば、この論文を読んだ時、

嬴政は、こう叫んだと言います。

これを書いたものは誰だ!?

この者に会い、語り合うことができれば、

私は死んでも悔いはない!

すると、ある側近はこう答えました。

この書物を著したのは、韓の公子である、

「韓非」という男でございます。

その声の主は、かつて荀子の元で

共に学んだ李斯でした。

彼は、望み通立身出世を果たし、

君主の近くに仕えていたのです。

それから嬴政は韓に向けて

猛攻撃を仕掛け、

講和の使者として、

韓非を派遣することを要求。

そして念願の韓非との面会を果たし、

大いに喜んだと言います。

しかし、嬴政にとって韓非は、

あくまで敵国の公子であり、

すぐに信用し役職を

与えるわけにもいきませんでした。

そうした中、李斯は嬴政に近づき

こんな耳打ちをします。

「韓非は、韓の王家の血を引くものです。

そのような人間が

秦の天下統一のために働くでしょうか?

結局は、祖国を第一に

考えるに決まっています。

それが人情というものでございましょう。

かといって、韓非を用いることなく、

帰国させても

後々それは災いの種になります。

最も得策なのは、あの男に罪を着せ、

今ここで始末しておくことです。」

荀子の元で学んでいた時から李斯は、

韓非の才能には

及ばないと気がついていました。

そのため、このまま君主の

寵愛を奪われてしまえば、

いずれ、自分の立場が

危うくなると考えたのです。

李斯からの進言を受けると嬴政は、

その通りであると納得し、

なんと韓非を裁判にかけて透谷。

さらに李斯は、韓非に毒薬を送って、

自害を迫りました。

無実であった韓非は必死に弁明し、

嬴政との面会を訴えますが、

その願いは一切聞き入れて

もらえませんでした。

そうした中、嬴政は、

韓非に下した処罰を後悔し、

あるとき使いのものを送り

彼を獄中から出そうとしました。

しかし、気づいた時には遅く、

すでに韓非は毒薬を仰ぎ

誹謗の死を遂げていたのです。

それから3年後、韓が消滅すると

紀元前221年ついに、秦は天下を統一。

嬴政は、始皇帝と

呼ばれるようになります

そして大変皮肉なことに

秦の天下統一にあたって、

理論的支柱となったものこそ、

韓非が残した著作

「韓非子」だったのです。

ちなみに、李斯は、

その後どうなったのかといえば、

実は韓非と同じような運命を

たどることになります。

始皇帝亡き後、

李斯は趙高という人物と共謀し、

後継者であった大使を殺害。

そして自分たちが操りやすい

始皇帝の末っ子「胡亥(こがい)」を

第二代皇帝に建てます。

その後、趙高はなんと

邪魔になった李斯を罠にはめて投獄。

李斯は、獄中の中で

何度も自分の無実を訴えました。

しかし、彼の弁明は

全て趙高の手によって握りつぶされ、

その後拷問を受け、極刑に処せられます。

このように李斯は、自分が韓非に与えた

以上の苦しみをその身に受けるという、

大変悲惨な最後を迎えたのです。

これから本編に入る前に

韓非子の特徴を3つ挙げておきたいと思います。

1.人間不信の哲学によって貫かれている

当時は、裏切り行為が

当たり前の戦国時代であり、

たやすく人を信じることは

死に直結する危険行為でした。

そのため、韓非子の中には

人を信じるとか、人を愛すると言った

美しい理想論はなく、

厳しい競争社会を生き延びる上での

現実的な指針が示されています。

2.人は「利」で動くという前提に立っている

韓非は人間の本性を徹底的に分析し、

人を動かすものは愛情でも、思いやりでもなく、

利益であると結論付け、

その上で主張を展開します。

ここでの利益というのは、

富・名声だけではなく、

心地よいとか、落ち着くといった

精神的満足も含まれています。

要するに、人間は自分にとって

プラスになることを無意識のうちに計算し、

それに基づいて物事を選択したり、

行動したりしていると考えたわけです。

3.厳格な法治主義

韓非が、著作によって実現しようとしていたのは、

祖国の社会秩序を安定させることでした。

そこで彼は、先ほど挙げたように

人を信じてはならない。

人は理で動く。

という、二点を前提とした上で、

曖昧な主観ではなく、厳格な法律によって

統治すべきだと訴えたのです。

というわけで、背景知識は以上になります。

それでは、本編に入りましょう。

願望を露わにするリスク

君主は自分の願望を表に出してはいけない。

願望をあらわにすると周りのたちは必ず、

それに合わせて自分を飾ろうとする。

また、君主は自分の意向も

外に漏らしてはいけない。

思惑があらわになれば周りの者たちは、

それに合わせて自分を取り繕うようになる。

君主が自分の好むもの

嫌うものを語らなければ、

周りの者たちは本来の

自分をさらけ出すのである。

リーダーが、自分の好き嫌いや

意向などを前面に押し出せば、

周りは、それに合わせて

自分を飾るようになるというお話です。

確かに、カリスマ的な

強いリーダーからしてみれば、

周りが何でもかんでも

自分に合わせてくれた方が、

早い意思決定ができるため、

好都合なのかもしれません。

しかし、こういった独裁的な

リーダーシップは、

組織内にイエスマンを大量発生させたり、

人材の自主性が発揮されなくなったり、

リーダーに負担や責任が一点集中したりと、

様々なリスクを抱えることになります。

そのため、安定的かつ持続的な

成長が求められる組織のリーダーは、

周りに忖度させないよう、

日々の言動に注意する必要があります。

その上で韓非は、次のように伝えています。

人の上に立つものは、

どれだけ知識があっても決して

ひけらかしてはならない。

ただ相手に語らせ、

相手を観察するのである。

リーダーが自分の知識を表に出さなければ、

周りの者たちは、自ら学ぶようになる。

また、どれだけ勇気があっても

決して自ら奮い立ってはならない。

自分以外のものに、その役目を与え、

組織を活気づけるのである。

自分の知識や賢さを隠し、

勇気を捨て去ることによって、

成果を出し、強さを保ち続ける。

それが真に優れたリーダーである。

本当に優れたリーダーは、

自分を一歩引いた場所に置き、

人材の能力を最大に発揮させることによって、

成果を上げるといったお話でした。

責任ある立場を任せられた結果、

周囲の人になめられてはいけないと

肩に力が入り、自分の優秀さをアピールしすぎ、

かえって信頼を落としてしまった。

こういった事例は、現代社会では

良くあることです。

しかし、本当に優れたリーダーは、

自分の対面を保つことよりも、

どうすれば、組織を安定的、

持続的に成長させられるのか?

ということに主眼を置いているものです。

また、中国北宋時代に活躍した文学者の蘇軾(そしょく)は、

「大智は愚の如し」という言葉を残しています。

これは、真に知恵のあるものは、

自分の知識をひけらかしたりしないため、

一見すると愚かな人物に

思えるという意味になります。

こういったことから、組織の重要課題より、

自分をよく見せることに力を入れている

リーダーには注意する必要があると言えます。

さらに韓非は、組織をダメにしてしまう

指導者の特徴について、次のように語っています。

褒美を与えると言いながら与える時に与えず、

罰を加えると言いながら、それを行わない。

このようにトップの人間が

懲罰に対していい加減だと、

民衆は決して本気にはならない。

名君が褒美を与えれば、

気持ちのいい雨のように優しく

すべての人民は、

その恩恵にありつける。

一方、罰を与えれば、

それは雷のように恐ろしく神や聖人でさえも、

その怒りを鎮めることはできない。

だから、名君と呼ばれるものは、

半端な気持ちで褒美を与えないし、

罰を緩くすることもないのだ。

もし、褒美がいい加減であれば、

優れた家臣も怠惰になり、

罰をそのまま許しておけば、

悪い家臣はさらなる悪事を働くだろう。

したがって、功績があるならば、

疎遠で低い身分のものでも

必ず褒美を与え、

過失があるならば、

身近で愛するものでも、

必ず罰を与えなければならない。

功績のあるものには、必ず賞を与え、

罪を犯した者には、必ず罰を与えることを

「信賞必罰(しんしょうひつばつ)」

と言いますが、

この言葉は、韓非子に

由来するものになります。

確かに、

・良いことをしても褒められない

・良くないことをしても罰せられない

そういう環境であれば、規律も秩序も乱れ、

組織は時間の問題で崩壊してしまいます。

ただ、信賞必罰は頭で理解することはできても、

実際に行うのは決して簡単なことではありません。

なぜなら、人間は情に流されやすいからです。

例えば、あの人は大切なルールを

逸脱してしまったけれど、

これまでの功績もあるし、

決して悪い人ではないから、

今回だけは大目に見てあげよう。とか、

彼は素晴らしい成績を上げたけれど、

個人的に気に食わないから、

低めの評価をつけておこう。とか、

賞罰の判断の際に、

私情が混ざりやすいのです。

ちなみに、三国志の中には

信賞必罰の難しさを物語る

こんなエピソードが残されています。

かつて、蜀(しょく)という国に

馬謖(ばしょく)という男がいました。

彼は並外れた才能の持ち主で、

若くして重要な役職を歴任するなど、

将来も大変期待されていました。

ところが、蜀の帝王であった劉備玄徳は、

死の間際に、こんな言葉を残しました。

馬謖は大口を叩く男である。

決して重要な役割を与えてはいけない。

よく気をつけるのだ。

ところが、当時軍師であった諸葛孔明は、

劉備の遺言を無視して、馬謖に参謀という

重要な役目を与えてしまいます。

そしてライバル国である魏(ぎ)との戦いにおいて、

劉備が恐れていたことが起こります。

なんと、馬謖が諸葛孔明の命令に背き、

勝手に作戦を変えると言った、

独断専行に走ったのです。

それによって蜀は魏に大敗。

重要な拠点を失います。

その報告を受けた孔明は、こう語りました。

なぜ、孫氏は連戦連勝を収めたのか?

それは、軍律を徹底させたからである。

この乱世において馬謖のように

軍律を乱す者がいて、

どうして敵を撃つことができようか!?

確かに、馬謖は優秀な人材である。

だが、私情こそ判断を誤らせる

一番の罪なのだ。

実に惜しい人間ではあるが、

だからこそ、今ここで馬謖を切り、

軍法を正さねばならないのだ。

そして孔明は、愛弟子であった馬謖を捉え

涙を流しながら処刑を命じたのです。

これは三国志に登場する大変有名なエピソードで、

「泣いて馬謖を斬る」という故事成語を生んだ

ことでも知られています。

つまり、組織の規律を保つためには、

どんなに愛する人であろうと、

例外を作ってはならず、厳正に対処

しなければならないというわけです。

恵まれた才能や卓越した成果によって、

特別な立場や役目を与えられることは

喜ばしいことです。

しかし、それによって周りの人に対して、

急に偉そうな態度を取ったり、

組織のルールから外れたりしても

良いかといえば、決してそうではありません。

自分に注目が集まった時こそ、自制心を働かせ、

我が身を振り返らねばならないのです。

一方、リーダーには、そういった問題が起こらないよう

正しく人を見抜き、正しく人を配置する能力やセンスが

求められます。

とはいえ、馬謖の事例にもあったように、

優秀な人と危険な人は紙一重であり、

誰もがその違いを見極められるわけではありません。

では、どういったタイプの人が

優秀な人材として組織で重宝され、

どういったタイプの人が危険人物として

マークされやすいのでしょうか?

次の章で解説しますね。

チャンスを掴む優秀な人・逃げていく危険な人

物には、それ相応の使い道があるものだが、

これは人間も同様である。

それぞれ適材適所に置けば

君主は特別なことをする必要は何もないのだ。

例えば、鶏には時を告げさせ、

猫には鼠を捕らえさせるように、

それぞれの能力を活用すれば良いのである。

もし君主が自分の得意分野を誇り、

部下たちの前で、それを披露していれば、

本来うまくいくものも、

うまくいかなくなる。

そういった傲慢さはかえって

足元を救われるものだ。

また話がうまく、知恵が回り、

自分の力に自惚れるものも同様である。

逆に周りの人間たちに付け入る隙を与え、

上下の役割も曖昧になり、

やがて国が乱れていくのである。

各自の能力や適正にふさわしい仕事を与えれば、

リーダーは特別なことをしなくて良いとありました。

つまり、適材適所こそが組織運営の要なのです。

ただ、実際に人を採用したり

人を配置したりするのは、

決して容易なことではありません。

そこで「モルトケの法則」という、

人材マネジメントの指標を紹介したいと思います。

モルトケの法則

モルトケとは、19世紀に活躍したプロイセンの軍人で、

鉄血宰相ビスマルクの参謀総長を務め上げた

世界最高の軍師の一人です。

彼は人材を能力と意欲という2つの観点から、

4タイプに分類し、

部下として登用すべき優先順位を

次のように定めました。

第1位:能力が高く意欲が低い人材

第2位:能力も意欲も低い人材

第3位:能力も意欲も高い人材

第4位:能力は低いが意欲が高い人材

これはあくまで人材マネジメントにおける

参考指標の一つであり、

人間の良し悪しを優先順位付け

するものではありません。

賛否はあるものの、

今でも組織構築の手法として

使用されていますので、

知っておいて損はないと思います。

では、順番に見ていきましょう。

まずモルトケは、第1位の能力が高く

意欲が低い人材こそ、

重要なポストにふさわしいと考えました。

意欲が低いと聞くと、

どこかマイナスイメージがありますが、

裏を返せば、私利私欲に捉われないと

解釈することができます。

したがって、こういったタイプの人は、

自我を前面に出さず組織が求める

ゴールに向かって、

淡々とハイレベルな仕事をしてくれるため、

リーダーの参謀と言った、

重要なポストを与えられやすいのです。

次に第2位につてですが、

能力も意欲も低い人材でした。

如何にも一番冷遇されそうですが、

意外にも大事にされるのが、

例えば、組織に重大な損失を

もたらす危険性が少ない。

能力や意欲がなくても

できる仕事を任せやすい。

自分の色を出したがらないので

柔軟な配置がしやすい。

更に、そこから経験値を積み

スキルアップしていけば、

化ける可能性も秘めており、

育成がしやすいといった点が挙げられます。

したがって、従順で素直な

気持ちさえ失わなければ、

組織の中では比較的生き残りやすく、

安全なポジションと言えるわけです。

続いて第3位が、

能力も意欲も高い人材です。

本来であれば、

最も優遇されそうなタイプが、

まさかの3位という結果に驚かれた方も

多いのではないでしょうか。

これは先ほど登場した馬謖を

イメージして頂くと分かりやすいかと思います。

彼は能力も意欲もありましたが、

自信過剰で大口を叩いていたことから、

最大のキーパーソンである

劉備玄徳から警戒されていました。

そして案の定、肝心な場面で軍の掟を破り、

祖国を危機に陥れてしまいます。

要するに、彼のように能力も

意欲もあり余っているタイプの人は、

一度権限を与えると、暴走して

手がつけられなくなる可能性があるため、

優秀だが扱いにくいと警戒されやすいのです。

そのため、現実社会では能力も意欲も

ある人材なのに、なぜか潰されてしまった

というケースは少なくありません。

このような場合は、能力と意欲の

平均値が高い環境に身を移したり、

チームプレーではなく

個人プレーの仕事についたり、

あるいは、自ら組織を作ったりと、

自分の特性にふさわしい選択を

検討する必要があると言えます。

では最後の第4位、能力は低いが

意欲が高い人材について見ていきます。

これは要するに実力もないのに、

富・名声・権力に対する欲望だけは

人一倍あるといったタイプが該当します。

もし、このような人に舵取りを任せれば

組織は壊滅的な被害を受ける可能性が

高いと言えます。

そのため、どれだけ言葉巧みに近づいてきても、

リーダーは決して警戒心を解いたり、

重要なポジションを与えたりしては

ならないというわけです。

今、自分が所属している組織において、

自己評価と他者評価に明らかなズレが

あると感じた際には、

このモルトケの法則が問題解決の

ヒントになるかもしれません。

韓非流リーダー像

韓非は、リーダーが自分の得意分野を誇ったり、

それを部下たちの前で披露するべきではないと

忠告していました。

なぜかといえば、リーダー自らが自分の方が

うまくできるという理由で、

部下の仕事を奪ってしまえば、

適材適所の意味がないからです。

その上で韓非は、組織における

役割の重要性をエピソードを交えて、

次のように強調します。

昔、韓のある王様が、

酒に酔ってうたた寝をしていた。

すると冠係は、君主が

風邪をひいてはいけないと思い、

その体の上にそっと衣をかけた。

王様は目覚めると

左右にいるものにこう尋ねた。

「この衣をかけたのは誰だ?」

すると左右の者たちはこう答えた。

「冠係でございます。」

その言葉を聞いた王様は、

衣服係と冠係の両者を処罰したのだった。

なぜなら、衣服係は職務を怠り、

冠係は、己の職分を超えたからである。

もちろん、王様は風邪を

ひきたかったわけではない。

役人が人の職分を犯すことの方が、

風邪を引くことよりも、

はるかに重要な問題だと

考えたのである。

冠係りの善意が仇となり、

二人とも処罰されてしまうという、

大変気の毒なエピソードでした。

冠係が衣服係に王様の状況を伝える。

ただそれだけに留めておけば、

この悲劇は防ぐことができたのかもしれません。

確かに、仕事でも、プライベートでも、

自分が代わりにやってしまった方が早いし、

いい結果が出るし、明らかに合理的だと

いう場面は、多々あるかと思います。

しかし、だからといって自分以外の

誰かの責任範囲に軽々しく介入して

良いかといえば、そうではありません。

なぜなら、人によっては善意を押し付けられ、

恩を着せられた。顔を潰されて恥をかいた。

成長の機会を妨げられたと感謝されるどころか、

むしろ恨みを買う危険性が高いからです。

もし、組織においてこういった事例が

増えてくれば、規律も、秩序も乱れていき、

リーダーは頭を抱えることになります。

そこで王様は冠係の振る舞いは

人としては正しくても、

組織の担当者としては正しくないと判断し、

厳しい処罰を下したわけです。

人は良かれと思ってつい他人の責任範囲に

踏み込んでしまうものですが、

その行動によって誰がどんな気分になり、

どんな結果を生むのかを良く考える必要が

あると言えます。

さらに韓非は、人を説得する時にも

相手の心の内をよく想像すべきであるとし、

次のように語っています。

説得の難しさとは何だろう?

それは自分が伝えたい内容を

正確に理解することでも、

上手に説明することでもない。

伝えるべき相手の心を読み、

それに合わせて自分の考えを

述べることが難しいのである。

例えば、名誉を求めている相手に対し、

儲け話で説得しようとしたらどうなるだろう?

きっと相手は自分のことを金をちらつかせれば

なびくような卑しい人間だと思っていると

気分を害するに違いない。

一方、儲け話が好きな人間に対し、

名誉をちらつかせて説得を試みたらどうなるだろう?

きっと相手は、この人間は思慮が足りず、

話のわからないものだと判断されることに

なるだろう。

つまり、説得において大切なことは何よりもまず、

説得したい相手についてよく知ることであるという

お話でした。

人間は自分の力を過信し、油断すると、

良い提案さえすればきっと相手は納得

してくれるだろうとか、

良い結果を出しさえすれば、きっと相手は

評価してくれるだろうというように、

つい独りよがりの発想になりがちです。

そうならないためには、

まずは相手が何を求めていて、

何を求めていないのかをリサーチし、

その上で相手に働きかけることが

重要だと言えます。

先ほど登場した馬謖も冠係も相手がやって欲しいことと、

やって欲しくないことをよく理解していなかったため、

あのような悲劇を招いたのかもしれません。

とはいえ、彼らのように高い能力や

善良な精神を持っていたとしても、

思わぬところで空回りし、

落とし穴に嵌ってしまうといった

事例は、よくあることです。

こういったリスクを減らす上で

心がけておくべきポイントは何でしょう?

次の章で解説しますね。

非凡に勝る平凡

この世の中には、信じるべきことが3つある。

1つは、どれだけ知恵があっても

成果が得られない場合がある。

2つは、どれだけ力があっても

持ち上げられないものがある。

3つは、どれだけ勇気があっても

勝てない戦いがある。

韓非は、人間一人の力には限界がある

ということをよく理解しておきましょう。

そのように言っているわけです。

確かに、人生をよりよく生きる上で

知恵を蓄えたり、

能力を高めたりすることは

とても大切なことです。

しかし、それだけで人生が

うまくいくかといえば、

もちろん、そうではありません。

世の中には、知恵や力があっても

大失敗する人もいますし、

知力がなくても、大成功する人もいます。

では、この違いとは一体何なのでしょうか?

韓非は、次のように語っています。

どんなに名のある職人であろうと

定規を捨てて勝手な推量をすれば、

車輪を作ることはできない。

これと同じように法律を捨てて

人の心で国を治めようとすれば、

どんな聖人君子であろうと

一国を正すことはできない。

平凡な指導者こそ、

規律やルールをしっかりと守り、

平凡な職人こそ定規で

きちんと測ることである。

確実な道を通れば

余計な失敗をすることがない。

平凡であっても、

下手であっても良いのだ。

間違いのない方法を守りさえすれば

能力が発揮され、

成功を手にすることができるだろう。

不確実な方法を取るのではなく、

確実で間違いのない方法をとりましょう。

というお話です。

人間は自信過剰になると

奇をてらうようになり、

逆に、自信がなくなると

特別な方法に頼りたくなるものです。

こういった誘惑にかられることなく、

確実で間違いのない道を選び続けること。

それこそが平凡な人が

非凡な成果を上げる秘訣なのです。

例えば、何らかの組織を

率いている場合であれば、

カリスマ性、天才的な話術、

圧倒的な人徳を欲しがるのではなく、

規律やルールを定め、

堅実なマネジメントをすることが

肝要であるというわけです。

その上で韓非は、優秀な人に

共通して見られる態度について、

次のように語ります。

かつて斉の国に管仲と周魴という

2人の男がいた。

彼らは、春に出陣し冬に凱旋したため、

帰り道がわからなくなってしまった。

そこで管仲は年老いた馬の知恵を

借りるべきだといい老馬を話した。

その向かう先について行くと、

何と道が見つかったのである。

そして山道を進んでいると、

今度は水がなくなってしまった。

すると周魴は蟻の知恵を

借りるべきだと言った。

彼によれば蟻は冬には山の南にいて

夏には山の北にいる。

高さ一寸の蟻塚なら、

その下には水があるという。

そして地面を掘ったところを

なんとその通り水が湧き出たのだ。

管仲と周魴は、聡明な男である。

そんな彼らですら、

馬と蟻から学ぼうとするのだ。

にもかかわらず、

世の多くの人はどうだろう?

自分の心が愚かであっても、

それを問題とせず聖人からも

学ぼうとしないのである。

本当に優秀な人は、

自分の能力を過信するのではなく、

その能力が及ぶ範囲を冷静に見極めて

足りない部分があれば立場や身分など関係なく、

知恵を借りるといったお話です。

もちろん、韓非は管仲と周魴が示した

謙虚な振る舞いを美徳として

注目しているではありません。

何でもかんでも

自分でやろうとするのではなく、

できないものについては、

誰かに補って貰うという姿勢こそ、

合理的かつ現実的であると

強調しているのです。

さらに韓非は、優秀な人が陥りがちな罠について、

こんなエピソードを紹介しています。

かつて宗という国に

弁舌が巧みな男がいた。

彼は白馬は馬ではないという論理を操り、

多くの弁論家を論破していた。

そんなある日のこと、男が白馬に乗って

関所を通ろうとしたところ、

馬の通行税を取られたのである。

どんなに空虚な議論に優れ、

どんなに多くのものを論破できたとしても、

具体的な事実を見極められると、

誰一人騙すことはできないのである。

これは「白馬は馬に非ず」と呼ばれる

古代中国の有名な学説の元になったお話です。

要するに韓非は、

どんなに理屈をこねたところで、

たった一つの事実には、

勝ち目がないと言っているわけです。

例えば、大事な会議に遅刻したり、

大切な約束を守らなかったりしたとき、

つい人は色んな言い訳を考え理論武装して、

自分を守りたくなるものです。

しかし、どれだけ言葉巧みに

理由を説明したところで、

遅刻をした。約束を守らなかった。

という事実は変わりませんし、

その事実を覆すことは

誰にもできません。

こういった道理を理解せず

事実に対して理屈で反論すれば、

仮に相手を論破することが

できたとしても、

自分の印象は悪くなり、

信頼も地に落ちてしまいます。

従って事実は事実として

素直に認めて反省し、

同じ失敗を繰り返さないよう

努めることが大切だと言えます。

戦国の世に生まれた韓非は、不運にも当時、

これだけの知恵を持っていながら、

それを人に利用され、当の本人は

何も生かすことができないまま、

生涯を終えてしまいました。

しかし、そんな彼の無念を

晴らすかのように、

韓非子は2000年以上

人間学の古典として読み継がれ、

世界中の人々に生きる指針を

与え続けています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

私も日ごろは、

最先端の知識を得ようと

色んな本を読み漁っていますが、

本質に顧みると古いにたどり着きます。

本を読む時間が

なかなか取れないという人は、

これからも、私が感銘を受けた

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