こんにちは! せがひろです。
最近、どんな曲が流行ってるんでしょうかね?
ふと、気になりました。
テレビでも音楽番組は、ほとんどやってないし、
行きつけの店でバイトしている高校生とか、大学生に聞くと、
ネットのランキング曲を聴いて、
気に入ったものを聴いているって言ってました。
でも、ランキングインする前に誰かが、
どうにかして聴いているからランキングするわけで、
それが、サクラなのか?本人が一生懸命、
ピーアールしているのか?
あるいは、本人または事務所が、
いろんなところで宣伝しているのか・・・
今度、もう少し詳しく調べてみようと思いました。
っで、流行りの曲とかがわからないので、
結局、昔の曲を聴いちゃってます。
今も通用するのかわかりませんが、
不景気な時代には悲しい歌がヒットするそうです。
私は演歌は聴きませんが、
フォークソングはよく聴きます。
若い時にフォークギターを
やってたってのもあるんですけどね。
それで、私のブログでは、
自由な個人を増やして家族円満とか、
故郷で暮らしていける人が増えたらいいな。
って思って、新しいライフスタイルとして、
パソコン一台で稼いで田舎で暮らすという、
コンセプトで発信しています。
けど、いくら発信して共感してくれたとしても、
最終的に行動するか、しないかは、
読者さん次第になりますので、それ以上は何もできません。
私の経験上も、現状に不満があるのでしたら、
行動するしか変える方法はないと思っています。
結局、現状を変えられなかったとしても、
自分の問題ですので、「私の敵は私」なんだと思います。
そんな中で、これピッタリだなーと思ったのが、
中島みゆきさんの「ファイト」って曲です。
カバーしているミュージシャンも大勢いて、
聴いたことがある人も多いと思います。
曲名から、良く応援歌と捉える人が多いようですが、
いろいろ調べてみると「闘え!」っていうメッセージが、
強いようです。
その辺で、私なりに感じたことを、
今回は発信していきたいと思います。
目次
曲が誕生した背景
この曲は、1994/05/14(平成6.5.14)に、
「空と君のあいだに」の両A面シングルとしてリリースされました。
「空と君のあいだに」は、ドラマ「家なき子」の主題歌でした。
「同情するなら金をくれ!」って、
セリフを覚えている人もいると思います。
それで、この「ファイト!」という曲は、
中島みゆきさんのラジオ番組に投稿された、
一通の葉書を元に生まれた歌だそうです。
今のようにインターネットも、
Twitterもなかった時代、
10代の若者の心の叫びを
受けて止めてくれるのはラジオでした。
多分、オールナイトニッポンだと思いますが、
中島みゆきさんに、こんな葉書が投稿されました。
わたしは中学をでて、すぐに働いて2年になる、17歳の女の子です。この間、わたしの勤めている店で、 店の人が私の事を「あの子は中卒だから事務はまかせられない。」と言っていたのを聞いてしまいました。悔しくて、悔しくて泣きたかった。 私だって高校行きたかった。ごめんなさい、愚痴を書いてしまって・・・
中島みゆきさんは、この葉書をくれた女の子に、このように語りました。
すべての人に良さをわかって貰うというのは無理かもしれないけど、わかってくれる人も、どこかにいるかもしれないとかね・・・そういう風に思うことだって、素敵なことじゃぁないだろうか。
そして、最後に一言、こう付け加えました。「ファイト!」
ラジオで、この葉書が読まれたのが1982年。
番組に寄せられる、沢山の心を叫び。
それを歌にしてエールを送ったのが、
この「ファイト!」だったんですね。
当時は歌詞の意味が良くわからなかった
唄の歌詞って、だいたい一人の主人公の物語だったり、
カップルに対してだったりしますよね。
当時は、そう思い込んで聴いていたので、
最初の出だしで歌詞のストーリーが繋がらなくて、
意味が分かりませんでした。
女の子の話があって、男の子の話があって、
目撃談があって・・・
あたし中卒やからね 仕事を もらわれへんのや と書いた
女の子の手紙の 文字はとがりながらふるえている
ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの眼が年をとる
悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる
私 本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で
ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
私 驚いてしまって 助けもせず 叫びもしなかった
ただ 怖くて逃げました 私の敵は 私です
ここまでが、どうしようもない理不尽さを、
例として3つ上げているんだと理解しました。
最初のフレーズがラジオ番組の投稿内容で、
その次が少年が理不尽な理由で暴力を受ける内容・・・
(今だったら、完全にパワハラですね。)
最後が、登場人物としては3人いて、
ちょっと複雑ですが、理不尽さが絡み合っている例です。
子供を突き飛ばした女の理不尽さ、
目撃した「私」は通報もせず、
子供も助けなかった理不尽さ、
誰にも助けて貰えなかった子供の理不尽さ、
そもそも突き落とされる理由が無い子供の理不尽さ・・・
歌詞としては主人公の「私」目線ですから、
本当は子供を助けたかった・・・と、同時に、
関わると怖いから逃げるといった身勝手で、
事なかれ主義の「私」に注目していて、
正しい行動をできない原因は自分の中にあるということで、
「私の敵は私です」と締めくくっているのだと思います。
暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光っているのは傷ついて はがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて 魚たちのぼってゆく
このフレーズにおける“水の流れ”(暗い)とは大人たち、
“魚たち”(光っている)とは少女少年たちでしょう。
水の流れに逆らい、一見美しく見える“魚たち”
しかし実は、傷つき、やせ衰えていて、
きっとこのまま傷つき、痩せていけば、
いつか魚は死ぬでしょうし、
「美しく登っていく」ほどに、
魚は苦しみ続けることを伝えてるんだと思います。
そして、「流れ落ちてしまえば楽なのにね」のところで、
楽になるためには、流れに逆らわず、
身を任せ同化すれば良い。
そうすればもう、鱗がはがれ傷つくことも、
やせ衰えることもありません。
ただし、それは同時に“光っている”ではなくなる・・・
事なかれ主義で大人になっていくことも
意味してるのではないでしょうか。
勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました
ここは、そのままの解釈で、
勝つか負けるか分からなくても、
ガムシャラにぶつかって、
大人になっていく!
ということを表現しているのだと思います。
ここまでの流れで、傷つくのを恐れないで、
理不尽さに立ち向かって美しく生きていこう!
といったエールだと思います。
薄情もんが 田舎の町に あと足で砂ばかける って言われてさ
出ていくならお前の 身内も住めんようにしちゃる って言われてさ
うっかり燃やしたことにして やっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき
ここのフレーズは、想像つくと思いますが、
こんな村八分みたいなことが現代にあるとは
考えにくいので、たとえ話だと思います。
少なくても、私の田舎ではありません。
あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ
このフレーズは、上の田舎の話と
繋がっているのかもしれませんし、
男尊女卑を言っているのかもしれません。
本人に聞いてみないと、分からないですねー。
ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく
最後のフレーズのこの部分がまた意味深で、
「小魚たち」でしたら、冒頭に登場したような、
少年少女のことだと思うのですが、
「群れ」があることで、
こういう風に考えられるんじゃないでしょうか?
例えば、中卒の女の子を大人が認めて、
仕事をさせたとしましょう。
そうすると、その大人が更に上司だったり、
世間に白い目で見られる可能性があります。
もし、高卒の子や大卒の子もいたら尚更ですよね。
そういった風に一つのことを認めると、
その上・・・さらにその上へと飛び火して、
責任問題に発展するから、
大人自身も流れに任せて生きている。
それを表現するために「群れ」って
しているんだと思います。
常識という鎖に縛られていませんか
大分、端おりましたが、
そんなに大きく的外れではないと思っています。
途中でも触れましたが、
本当のところは、中島みゆきさんに
聞かないと分かりません。
でも、聴き手がどう感じるのかは自由なので、
まぁ良いとしてください。
私もこうやってブログで情報発信していますが、
何千文字も書きます。
それに比べて唄の歌詞というのは、
あの短さでこれだけの情報を盛り込んでいるという・・・
正に「言霊」って感じですよね。
普通に学校教育を受けると、
卒業して就職するものだと思ってしまいます。
それで、就職して働くと、
毎日通勤して、毎月給料を貰って、
組織の中の決まりに縛られて、
いつの間にか、それが常識だと思って、
約40年繰り返して、
定年退職を迎えます。
人によっては、転職ですとか、
リストラを経験する人もいるでしょう。
その場合も、ハローワークに行ったり、
自分で職を探すという・・・
また雇われて働こうとするわけです。
学校のみならず、職場での教育とは、
恐ろしいものです。
それを、この歌では「鎖」と、
表現しているのだと思います。
もし、学校で個人で稼ぐことを教育していたら、
みんなもっと自由になれるのになーって思います。
現在は、インターネットというものがあるので、
初期投資ほぼゼロで起業できます。
一歩踏み出すために
起業のハードルの低さを理解でいたら、
あとは行動するだけです。
しかし、先程触れたように
凝り固まった常識が邪魔をして、
なかなか一歩を踏み出せません。
それを勇気と呼ぶべきなのか?
自分自身との葛藤と言うべきなのか?
誰か信頼できる人に相談すれば、
話は聞いて貰えるかもしれません。
ただ、その相談相手が
起業の経験が無ければ、
結局、自分で思っていることと
同じ回答が返ってくるでしょう。
仮に相談相手の人が、
「やった方がいいよ」
と言って始められるでしょうか。
失敗したら、
他人の責任にするのでしょうか。
そんなの、おかしいですよね。
やはり自分で決めないと
いけないのです。
決断、行動・・・自分の中の
もう一人の自分と決めなければいけません。
だから、この歌のフレーズにもあったように
「私の敵は私」なんです。
批判を気にせずやりたいことをやろう
今回伝えたかったことは、
周りの目を気にして我慢して長いものに巻かれて
生きるのは勿体ないということです。
小さい頃は、「あれしたい」「これしたい」と、
夢や希望を持ってワクワクしていませんでしたか。
それが、大人になるにつれて、大人と触れるにつれて、
「あれしちゃだめ」「これやっちゃダメ」と、
親や社会、先生の顔色を伺うようになります。
そうやって、人の目を気にしながら、
人生を歩んでいるのが今の日本です。
世間体ってヤツですね。
本来、私たちは自由なはずですし、
どんな人生を送ってもいいわけです。
良い大学目指して真面目に勉強して、
大学を卒業したら、企業に就職して定年まで、
朝から晩まで働くだけが人生ではないです。
一生日本で暮らさないといけない決まりもないし、
地方創生に尽力してもいいし、
起業してお金儲けをしてもいいわけです。
もし、子供に自分のような生き方をさせたくないと、
考えているのでしたら、自分のようじゃない生き方を
するための知識を持つ必要があります。
そうしないと、子供の相談にも乗ってあげられません。
学校を卒業したら、お金のためにやりたくもない
仕事をするのが当たり前という風潮はおかしいです。
やりがいを持って会社員として働いている人も
知っているので、会社員が絶対悪とは言いません。
ただ、我慢してやりたくもないことをするのは、
おかしいよねって思うわけです。
どこに住むか、何をするか、どんな人と関わるか・・・
全て自由に選択する権利があります。
自分が好きなことをするときは、
必ず批判する人が現れるわけですが、
100人中100人に肯定されることはないし、
批判する人がいれば応援してくれる人もいます。
そして、最後は自分で決める必要があります。
私の敵は私です。
マナ缶さんの「ファイト!by吉田拓郎」動画紹介
以下のブログも参考になります。