【書評】「二宮翁夜話(にのみやおうやわ)」から真の繁栄の道を知り、幸運と幸福を呼び込もう!

こんにちは! せがひろです。

今回は「二宮翁夜話(にのみやおうやわ)」

これについて解説します。

どんな作品かと言いますと、

二宮金次郎の言行が記された

古典的名著です。

・特に人と信頼関係を築くことが苦手な人

・誘惑に負けない強い心を手に入れたい人

・努力しても報われない人生に疲れてしまった人

とにかく自分の運気を下げたくないという人に、

お勧めの一冊です。

二宮金次郎といえば、農地改革に尽力し、

渋沢栄一、豊田佐吉、松下幸之助、稲盛和夫など、

そうそうたる実業家に

影響を与えた日本最大の偉人です。

しかし、その知名度とは裏腹に

彼がどんな人生を辿り、

どんな功績や思想を

残したかについては、

あまり知られていません。

そこで今回は二宮金次郎の

全貌を知り、

今の時代を生き抜くヒントを

探っていきたいと思います。

それでは、早速参りましょう!

二宮金次郎(二宮尊徳)とは、どんな人

1787年、神奈川県小田原市にある村に

大農家の長男として誕生しました。

父の利右衛門は農業よりも学問を好む

穏やかな性格で困った人がいれば

自分の田畑を売ったり、

お米を貸しても、それっきり

催促しないような大のお人好しでした。

そんな性格が災いしたのか

二宮家の土地はどんどん減っていき、

次第に家計も困窮するように

なっていきました。

そうした中、金次郎が

4歳を迎えた1791年の秋、

突然、大きな台風がやってきます。

稲穂は激しく揺れ、

近所を流れる酒匂(さかわ)川は、

いつになく不気味な音を

立てています。

身の危険を感じ取った利右衛門は、

大事な書類や生活用品などをまとめると、

急いで家族とともに

知り合いの家に逃げ込みました。

すると、その数時間後に地鳴りのような

音が当たり一面に響き渡りました。

土手が崩れ酒匂川が氾濫したのです。

巨大な土石流は金次郎の家を

一瞬にして破壊しました。

ようやく実り始めた田畑も

容赦なく飲み込まれていきました。

こうして二宮家は

たった一夜にして大地主から、

どん底へと突き落とされて

しまったのです。

10歳になった金次郎は、

家系を助けるために山で集めた薪や、

自分で編んだ草鞋を背負い、

それを売って歩きました。

父の利右衛門も、朝から晩まで

崩れた土手と荒れ果てた田畑の

修復作業に汗を流しました。

ところが、あまりにも

過酷な生活が続いたため、

ついに病に倒れてしまいます。

そして、ある時

金次郎を呼んでこう言いました。

「金次郎、わしはもう長くはない。

母さんと弟たちを頼んだぞ。

勤勉さを失わなければ

必ず立ち直ることができる。

これからの時代は、

きっと農民にも

学問が必要になるだろう。

よく学び、偉い役人にも理屈で

物が言える人間になるのだ。」

当時13歳であった金次郎に思いを託すと、

利右衛門は静かに息を引き取ります。

二宮家には母と金次郎、

そして11歳の弟の友吉と、

生まれて間もない

富治郎が残されました。

すると母は、自分が力仕事をし、

富治郎を里子に出すという、

苦渋の決断をします。

それから意気消沈し、

毎晩涙を流す母に対し、

金次郎は、こう言いました。

「生活ならなんとかなります。

私がもっともっと働けばいいんです。

弟二人の面倒も、私が見ます。

だから明日、

富治郎を連れ戻してきます。」

夜明けとともに金次郎は、

勢いよく家を飛び出しました。

そしてたった一人で

遠く離れた里親のもとへ行き、

弟の富治郎を抱きかかえながら

帰ってきたのです。

それから金次郎は、一家を支えるため

朝のまだ暗いうちから山に入って薪取りをし、

さらに、その移動時間には論語や

大学といった儒学の継承を音読しました。

そうした中、ついに母が過労によって倒れ、

三人の子供たちを残して他界してしまいます。

それによって次男の友吉と

三男の富治郎は母の実家へ。

長男の金次郎は、本家にあたる

二宮万兵衛の家に預けられる

ことになりました。

万兵衛は働き者の金次郎を

温かく迎えました。

ところが明かりを灯し、

毎晩遅くまで本を読んで

いることが気に食わず、

厳しく叱りつけました。

「いいか金次郎、

百姓は農業だけしていればいい。

学問なんかいらないんだ。

行灯の油だって

お金がかっている。

さあ、灯りを消して早く寝なさい。」

しかし金次郎は、

こんなことでは諦めません。

なんと彼は、本で学んだ

知識を生かして菜種を栽培。

更に、それを街に行って油に交換し、

自力で読書用の油を調達してきたのです。

この経験は、知識を生活の中で

実践することの大切さを教え、

金次郎は、益々仕事と学問に

精を出すようになっていきました。

それから10年かけて、

これまで失った田畑を次々と買い戻し、

なんと二宮家は

再び村の地主へと返り咲くのです。

どん底から這い上がり村でも指折りの

経済力と圧倒的な人望を獲得し、

更に学問まで身につけた金次郎。

その噂は、ついに小田原藩主の

重役服部十郎兵衛の耳まで届きました。

そして当時借金まみれであった

服部家の財政立て直しを任せられると、

なんと彼は、それを4年で

返済してみせます。

このことを知った

小田原藩主大久保忠顕は、

直々に金次郎の前に立ち、

藩のために尽くして

くれたことに感謝を伝え、

褒美として農機具などを与えました。

この時代において殿様が

直接農民に話しかけることは、

極めて異例のことであり、

それほど金次郎は信頼に

値する人物だったのです。

大久保忠顕は、よほど金次郎を

気に入ったのか、

自分の親戚が収めている

現在の栃木県真岡市にある

桜町領を立て直して欲しいと

新たな任務を課しました。

現地に赴くと、

まず彼が注力したのが心田開発です。

心田開発とは、人の心を耕し

働く喜びを持たせることを言います。

金次郎は何に取り組むにせよ必要なのは、

本人のやる気であると考えていました。

そこで彼は桜町領の農家を

一軒一軒回って、

村人の声を聞き、何に悩み、

何に苦しんでいるのかを

徹底的に調査したのです。

初めは、よそもの扱いされ

煙たがられていたようですが、

いつも話を聞いてくれ、

困りごとを解決してくれる金次郎に、

村人たちは少しずつ

心を開いていきました。

そして彼らと共に荒れ地を開拓したり、

借金を返済し終われば褒美を与えたり、

他の村からの移住や

婚姻などを進めたり、

様々な手を打つことで桜町領は

見事復興を遂げます。

そうした中、金次郎は夏に収穫された

初物の茄子を口にした際、

秋茄子の味がすることに違和感を覚え

村人たちにこう言いました。

この時期に秋茄子の味がするということは、

今年は冷夏となり稲が育たない可能性が

あるということです。

皆さん、すぐに綿花畑などは潰してください。

その代わり稗・粟・大豆などを作っておき、

万が一の自体に備えてください。

すると金次郎の予感は的中。

全国的に大雨・洪水・冷害などが発生し、

何年も凶作が続くことになります。

それによって米の価格が高騰すると

各地で百姓一揆などが起こり、

大阪では陽明学者の大潮平八郎が

反乱を起こすなど混乱を極めました。

1833年から36年まで続いた

この飢饉は天保の大飢饉と呼ばれ、

なんと20万人から30万人もの人々が

亡くなったと言われています。

しかし、金次郎が事前に

対策をしていた桜町領では、

餓死者を一人も出さなかっただけではなく、

備蓄した食料を他の村にも配給するなどして、

多くの人命を救いました。

そんな金次郎の評判が全国に広がっていくと、

彼は各地域の藩主の相談役として招かれ、

次々と立て直し事業を成功させていきます。

そして時の権力者であった

老中水野忠邦に見出されると、

江戸幕府の役人として抜擢されます。

しかし、このような異例の

立身出世を果たしても、

金次郎は自分の生き方を

変えることはありませんでした。

晩年まで累計600カ所にも及ぶ

地域を復活させ、

1856年70歳にして

その激動の人生に幕を閉じるのです。

それから数年後、

弟子の一人であった富田高慶が、

金次郎の伝記である報徳記を表すと、

それを明治天皇に献上。

その見事な生き様と思想に

心打たれた明治天皇は、

当時の役人たちに報徳記を配り、

更に皇居に金次郎の像を置くなど、

人としての手本とされました。

こういった背景から

金次郎は勤労と勤勉の象徴とされ、

やがて全国の小学校の

教科書に登場したり、

像が設置されたり

するようになったのです。

報徳記は、二宮翁夜話と

双璧をなす二大バイブルの一つで、

金次郎の門下生福住が残した

言行録になります。

今回は、その中からピックアップし、

解説を加えながら紹介をします。

運を逃さないための習慣

若いうちから毎日よく

務めに励むことが肝要である。

なぜなら、それは我が身に

徳を積むことだからだ。

徳を積めば、

天から恵みが与えられる。

例えば、あの人はよく働いて

真面目だから、

来年は彼に

仕事をお願いしようとか、

あの人は勤勉だから、

婿に貰おうとか、

そういった良い話が

舞い込んでくるものなのだ。

従って、どんなに才能や知恵が

乏しかったとしても、

自らの言動を顧みて自分の価値を

下げるような過ちを犯さぬよう、

よく注意しなければならない。

金次郎は、勤勉さや真面目さが

幸運を引き寄せるポイントに

なると考えていたようです。

確かに、大事な仕事を任せるにせよ、

重要なポジションを与えるにせよ、

不真面目で怠慢な人より、

真面目にコツコツ努力できる人の方が

信頼できるので後者の方がチャンスが

舞い込んで来やすいと言えます。

とはいえ、真面目に努力すれば

誰もが報われるかといえば、

もちろん、そうではありません。

大切なのは、ただ我武者羅に

努力することではなく、

運をたぐり寄せ、結果を出すための

正しい努力をすることなのです。

そこで報徳思想です。

報徳思想とは、神道・仏教・儒教の

教えと農業の実践によって編み出された、

金次郎独自の経済思想になります。

簡単に言えば、人が豊かに生きるための

知恵のことで、

至誠・勤労・分度・推譲という

4つの基本原理によって構成されています。

至誠:誠実な心掛けや、真心を尽くすこと

勤労:真心を込め、知恵を働かせながら日常を送ること

分度:自分の身の丈に合った生活を送ること

推譲:分度を守ったうえで生じた余剰を、将来へ譲ること

ここでは至誠と勤労について触れます。

世のため人のためになるはずだという

まっすぐな気持ちを持った上で、

どうすれば成果が出るのか?

もっといいやり方はないか?

常に考えながら努力することが

大切だということです。

その上で、金次郎はこう続けます。

世の中の人をよく見てみるがいい。

一文の柿を買うのも、

二文の梨を買うのも、

なるべく形がよく芯がしっかりしていて、

傷がないものを選び取るだろう。

また茶碗一つ買うにしても、

色や形が良いものを探し、

撫でてみたり、鳴らして音を聞いたりし、

充分に吟味するだろう。

世間の人は、柿や梨、茶碗ですら

そうやって慎重に選ぶのだ。

だとすれば、人間を選ぶときはどうだろう?

より慎重になるのが当然ではないだろうか。

婿や嫁を迎えるにせよ、

仕事で良い立場を任せるにせよ、

その身に傷があれば

誰もその者を選びたがらない。

しかし、選ばれないものは

自分に多くの傷があることを忘れ、

全く上の人間は人を見る目がないと

平気で恨み節を言うものだ。

しかし、自らを反省してみれば、

きっとその身に1つや2つ

傷があることに気づくだろう。

人は誰でも過ちがあるものだ。

過ちを知ったのなら、己をすぐに顧みて、

それを改めなければならないだが、

世の中には過ちを改めず、

それどころか、その過ちを飾ったり、

推しはったりするものがいる。

本人は、それを知恵だとか勇気だとか

思っているのかもしれないが、そうではない。

本当は、愚かであり、傲慢であり、

立派な人間が意味嫌うものである。

人には大なり小なり傷があるものです。

その中には頑張ってみたけれど

どうしても直せなかったという

ものも含まれているはずです。

ただ金次郎は、欠点や過ちの全てを修正し、

完璧な人間になりなさいと言っているのでは

ありません。

素直に謝ればすぐに済むような

過ちや自分の努力次第で直せるような

致命的な欠点などを正当化したり、

隠し通したりするのはやめましょうと、

なぜなら、先ほどの

柿や梨の例にもあったように、

人は人を見る時より慎重になるものなので、

本人は傷を一生懸命隠しているつもりでも、

周りには、すぐにわかってしまいます。

にもかかわらず、それを隠したり、

押し通したりすれば、

更に自分の値打ちが下がってしまうので、

反省するべきところは反省し、

改めるべきところは改めた方が

いいと言っているわけです。

その上で金次郎は自分で自分の価値を

貶めないためのポイントについて、

次のように語っています。

特に若いうちは自分の発する言葉や

一つ一つの行いに対し慎重になった方がいい。

「なんてバカなことをしたんだ」

「なぜあんなことを言ってしまったんだ」と、

悔いを残さぬことだ。

戯れにも嘘をつくことは

もってのほかである。

小さな嘘によって

大きな問題が起こったり、

たった一言の災いが大きな災いに

発展したりするのは古来よくあることなのだ。

だから、いにしえより人はこう言っている

「禍は口から出る」と、

人をそしり、悪く言うのは不徳である。

どれだけ非難に値する人物だろうと

けなしたり貶めたりしてはいけない。

人を褒めるのは良いことだが

褒めすぎには注意が必要である。

また、己の善を人に誇ったり、

己の長所を人に説いて聞かせたりすることは、

言語道断であり、現に慎むことだ。

人が意味嫌うような言葉を

決して口にしてはならない。

なぜなら、それは自ら災いの種を

植えているようなものだからだ。

金次郎は言葉よりも

行動を重視していましたが、

決して言葉を軽んじていた

人ではありません。

「口は禍の元」

「多言になればしばしば窮す」

「雉も鳴かずば撃たれまい」

古くからこういった多言、

失言を戒める言葉があるように、

何を言うかではなく

何を言わないかをよく考え、

慎重に言葉を選んで

人と会話をしていたのです。

特に嘘をつくこと。人の悪口を言うこと。

褒めすぎること。自分の美点や長所を語ること。

これらは自ら災いの種を

植えていることと同じであり、

人に意味嫌われてしまうので

現に慎むべきとありました。

ただどれだけ不要な発言を

しないように注意していても、

ストレスが溜まっていたり、

睡眠不足などが続いたりしていると、

頭が回らず、つい余計な一言を

言ってしまうものです。

そのため自分自身の言動を

日頃からよく振り返ることに加え、

生活習慣にも注意し、

肉体や精神のバランスが崩れないよう

心がけておく必要があると言えます。

一度、自分の日頃の行いを

点検してみることをお勧めします。

大きな目標を達成する、たった1つの方法

二宮先生の指導を受け、

儒学を弟子たちに教えている男がいた。

ある日のこと男は

近所の村に行って大酒を飲み、

酔って路傍に寝転んで醜態を極めた。

すると、その様子をたまたま

見ていた弟子の一人が、

あくる日から教えを受ける

ことをやめてしまった。

男は怒り、二宮先生にこう言った。

私の振る舞いが

良くないことはわかっています。

しかし、私が伝えているのは

聖人の教えです。

私の行いが悪いからといって、

聖人の道まで捨てる道理が

ありましょうか?

先生、どうか彼を説得し、

再び学問に就かせてやってください。

すると二宮先生はこう言われた。

お前さん腹を立てるんじゃない。

私が例えを引いて説明してあげよう。

ここに米がある。

これを飯に焚いて肥桶に入れたら、

お前さんは食うかね。

もともと綺麗な米の飯に違いない。

ただ汚い桶に入れただけのことだ。

それでも誰も食うものはいない。

お前さんの学問もそれと同じことだよ。

もともとは聖人の教えかも

しれないけれども、

お前さんの肥桶のような口から

公爵をするものだから、

弟子たちが嫌がって聞かないのだ。

それを不条理だと言って、

私が咎められると思うか?

お前さんは中国地方の出身だろう。

誰に頼まれてこの地にやってきた?

何の用事があってここに来た?

そもそも儒学の経書にはこう書いてある。

国を治めるには、

何よりもまず家を整える。

故に立派な人間は家を出ずして

教えを国に成し遂げると、

今お前さんが私の家について

飯を食っているのはどういうわけか?

口と腹を満たすだけならば、

農業や商業をすれば充分のはずだ。

お前さんは一体何のために

学問をしているのだ?

要は、正論であっても、

どんなに素晴らしい教えであっても、

それを唱えている人の人間性に問題があれば、

誰も聞きたがらないのは当然である。

というお話でした。

つまり、この儒学を教えていた男は
聖人の教えを聖人とはかけ離れた人間が

公爵しているという、

おかしな事実に気づいていなかったのです。

そこで金次郎は、まず自分自身の身を

正すことを伝え、

何のために学問をしているのかと

問いました。

すると男はこう答えます。

私はただ人に勝ちたいと

いう気持ちだけで学んでいました。

つまり、男は純粋に学問が

したかったのではなく、

他人に勝ちたい、

他人に認められたいという、

承認欲求を満たす手段として

学問をしていたわけです。

仕事にせよ、学問にせよ、

自分にとって大切な時間を注ぐからには、

なぜ、それをするのかという問いに対し、

自分なりの明確な

答えを持っていたいものです。

では、学問を愛した金次郎は、

一体何のために学んでいたのでしょうか?

神道・儒教・仏教と、この世には

あらゆる書物が数万と存在している。

しかし、どれだけそれらを研究しようと、

どれだけ深い山に入って座禅をしようと、

煎じ詰めれば、たった一つの道に到達する。

それは世を救い、世に利益をもたらすことだ。

例え学問をしても人としての正しい道を学んでも、

ここに到達しなければ、雑草のごとく

世の中に要はなく、

世の中にようなきものは尊ぶに値しない。

つまり、金次郎は、世の中の人を救い、

利益をもたらしたいという最終目的があり、

そこを目指して日夜勉学に励んでいたわけです。

もちろんこれは、金次郎が施策の末に

到達した一つの答えであり、

万人に共通する心理ではありません。

大切なのはまさに

その通りだと納得することではなく、

「なぜ学ぶのか?」という問いに対し、

真摯に向き合い自分なりの答えを

導き出すことなのです。

ところが先ほど金次郎に叱られた人物は、

この問いを空白にし、人生の指針を定めないまま、

勢いだけで田舎を飛び出し、

学問の道に進んでしまいました。

だから、自分でも

どうすればいいかわからず、

大量にお酒を飲んで、

現実から逃げたり、

とにかく勝ちたい目立ちたいといった、

衝動に支配されてしまったわけです。

また金次郎は、世を救い、

より利益をもたらすのは、

知識ではなく行動であるという

信念がありました。

なぜなら、どれだけたくさんの

知識があっても、それを使わない限り、

誰一人救うことができないからです。

その上で彼は、次のように続けます。

どれだけ良いことを思っていても、

良いことをしなければ、

良い人間とは言えない。

これと同じように、

どれだけ悪いことを思っていても、

悪いことをしなければ、

悪い人間とは言えないのだ。

従って、真理を悟る

修行ばかりに時間を費やすより、

小さくても善い行いを

することの方が尊いのである。

善い行いをしようと思ったのなら、

すぐに実行することだ。

親のあるものは親に孝行し、

弟子のある者は弟子に教育をし、

飢えた人を見て哀れだと思ったのなら、

すぐに食べ物を与えなさい。

悪いことをした。間違ったことをした。

そう気づいても改めなければ仕方がない。

飢えた人を見て、

どれだけ哀れと思っても、

食べ物を与えなければ意味がない。

それゆえ、我が道は実行を尊ぶ。

およそ世の中のことは実行によらなければ、

何も成就しないのである。

つまり、現実を変えることができるのは、

知識や理論ではなく、

それを実践することである。

というお話でした。

また、真理を悟る修行ばかりに

時間を費やすより、

小さくても善い行いをする

ことの方が尊いとありましたが、

ここは大変重要なポイントになります。

つまり、大きな理想や目標に捉われすぎて、

目の前にある小さなことを蔑ろにしてはいけない。

と言っているわけです。

なぜなら、大きな理想や目標は、

小さなことが積み重なることによって

達成されるからです。

金次郎は、こういった考えを

「積小為大(せきしょういだい)」と呼び、

次のように語っています。

大きなことをしたいと思えば、

小さなことを怠らずに努めることだ。

しかし、愚かなものは常に

大きなことを望むが小さなことを怠る。

そして為しがたいことに頭を抱え、

今すぐできる簡単なことに注意を向けない。

100万石の米が一粒一粒の

米からなるように、

千里の道も一歩ずつ歩かねば

到達しないように、

本来、大は小が積もったものである。

小さなことをいい加減にするものは、

決して大きなことは成し遂げられない。

この道理をよくわきまえ、

小さなことを怠らずに努めるのだ。

何万両もの資産を持つ金持ちも、

その祖先を遡れば、

必ず一鍬の手技から始めている。

小を積み続けだからこそ

大きな富を築いたのである。

どのような大木だろうと

一粒の木の実から生じ、

何百年という時間を経て

暑さや寒さ、風や雨などを凌ぎ、

力を蓄えながら成長したのだ。

昔の木の実は、今の大木、

今の木の実は、後世の大木である。

この道理をわきまえて大を羨み

小を恥じることをやめなさい。

金次郎は、書物を尊ばず

天地を持って経文とする。

という基本理念を持っていました。

つまり、人間の生み出した

文字や言葉ではなく、

自然の中から物事の真理を

つかみ取ろうとしたのです。

そして日々自然と向き合い

過酷な農作業をする中で、

まずは一握りの種を植え、

その後もコツコツと

地道な作業を積み重ねなければ、

人は何もなし遂げられないと

悟ったわけです。

また、昔の木の実は今の大木。

今の木の実は後世の大木とありましたが、

金次郎は、12歳の時に松の苗木を買い、

反乱した酒匂川の土手に自ら一本一本植えていき、

それを大切に育てていたと伝えられています。

もちろん、苗木が大きくなるのには、

途方もない年月がかかります。

しかし彼は、この苗木たちが

いつか大きく成長し、

洪水から村人たちを守ってくれると

信じていたのです。

その後、金次郎の植えた苗は

見事な大木となり、

今でも酒匂川の横で根を張り

人々の暮らしを見守っています。

そんな「積小為大」の精神を持ち、

真面目にコツコツ努力していた金次郎ですか、

彼はただ勤勉で、ただ真面目で、

結果さえ出ればそれでいいといった

思考の持ち主ではありませんでした。

そういった極端な考えは、

むしろ弊害を生むとして、

次のように注意を促しています。

仏教では、この世は仮の宿で

来世こそが大切だと教える。

だが私は、来世が大切だからといって、

今の世を仮の宿として軽んじるのは

間違っていると思う。

現在には、主君があり、

父母があり、妻子がある。

だから、現世は大切なのだ。

ではブッダが

これらを捨てたのはなぜなのか?

それはこの世の一切を

救済するためである。

世の中を救うためには

自分自身が

まず世の外に立たなければならない。

それはちょうど自分が座っている

畳を上げようとすれば、

自分がその畳の外に身を移さねば

ならないのと同じようなものだ。

ところが世間の人は

自分の立身出世のためならば、

自分の親、あるいは妻や子供たちを

犠牲にしても良いと考える。

だが、それは迷いでしかないのだ。

ブッダのような出家者は

この世の法を解くものであり、

世の外に出たものである。

従って世間一般の人と

混同してはならない。

こういった違いを

理解できるかどうかが、

立派な人間と愚かな人間を

分けるのである。

ブッダが妻子を捨てて

修行に励んだからといって、

自分も同じように、

夢や目標のために

家族を犠牲にするといった

極端な考えはやめましょう。

というお話でした。

ブッダは、世の中を丸ごと

救おうとした出家者であり、

そもそも一般の人とは

生きている世界が違います。

にもかかわらず、

出家者ではない我々が、

それを手本とすれば、

今を幸せに生きることが

できなくなるので気をつけましょう。

ということですね。

確かに、家族の幸せのために

頑張って働いていたつもりが、

いつしか働くこと自体が目的化し、

家族がその犠牲になるといったことは

よくあることです。

では、自分にとって

大切な人を不幸にしてでも、

人が夢や目標に捉われて

しまうのはなぜでしょうか?

また、健康を害しても、家庭が壊れても、

前に進もうとするのはなぜでしょうか?

その理由の一つは、

「足ることを知らない」からです。

人が心豊かに生きるためには、

ひたすら真面目にアクセルを

踏み続けるのではなく、

時には、もうこれくらいにしておこうと、

欲望にブレーキをかけ、

節度を持って暮らすことが

大切なのです。

「身の丈に合った〇〇」

これが本当に大事なんだと思いました。

分度と推譲

世間の人は、富を求めて

留まるところを知らない。

これこそ多くの人が陥る罠であり、

だから、かえって富が長く保てないのだ。

日本は日本人の留まるところがあり、

上州は上州人の留まるところがあり、

それぞれの村にも、それぞれの村の

留まるところがある。

一千石の村で家が100件建てば、

一軒当たり10石にあたる。

これが天命。

まさに留まるべきところなのだ。

それなのに際限なく田畑を買い集め

たいと願うなど浅ましい限りだ。

それはちょうど山の頂きに立っているのに、

尚、登ろうとするようなものだ。

頂上にいながら下を見ず、

上ばかり見ていることは愚かである。

頂上にいるものは眼下にある者たちを

哀れみ、恵みを与える。

それこそ自然の道理ではないか。

富めるものが、そういった天命を忘れ、

尚、己の利益を願い続けていれば、

貧しい者は、どうしても

貪り取ることしかできなくなるのだ。

金次郎は、経済的成功さえ収めれば、

それでいいと言った成長至上主義者では

ありませんでした。

留まるべきところをわきまえた上で

各自が目標に向かって邁進すること。

それが世の中を利する道だと

信じていたのです。

また、先ほど紹介した報徳思想の中には、

分度と呼ばれる言葉があります。

これは自分の身の丈にあった

生活を送ることを意味しており、

金次郎が立て直し事業をするにあたって、

最も重視したものになります。

当時の武家や藩は、

自分たちの対面を保ちたいがために、

衣・食・住に対し必要以上に

お金をかけていました。

中には、商人にお金を借りてまで

見栄を張ることもあったようです。

そのため、表面的には

懐が潤っているように見えても、

実は、借金まみれというケースが

非常に多かったのです。

そこで金次郎は、彼らの帳簿を

徹底的に分析し、

これ以上の出費はしては

ならないという分度を定めました。

その上で食事は当分、

ご飯とお味噌汁だけにしてください。

旦那様は、お酒を控えて、

奥様は、着物を木綿のものにしてください。

というように、具体的な

ライフスタイルを提案することで、

数々の建て直し事業を

成功させてきたのです。

そしてもう一つ注目頂きたいのが、

報徳思想の4つ目のキーワード

推譲(すいじょう)です。

これは分度を守った上で生じた

余剰をすぐに使ってしまうのではなく、

将来へ譲るという考え方になります。

具体的には、家族や子孫のために蓄えたり、

他人や社会のために寄付をしたりすること

などが挙げられます。

ちなみに、金次郎は桜町領の改革のために

それまで持っていた全財産を復興資金に当て、

なんと死後も個人資産が

ほぼ残っていなかったと言われています。

ただ彼のそんな度量の大きさに甘え、

頼ってくる怠け者も後を

絶たなかったと言います。

この作品では、そういった

怠け癖のある人に対し、

金次郎が、どのように対処して

いたのかが示されています。

ではソロエピソードの一部を

紹介したいと思います。

桜町陣屋の近所に畳職人をしている

元吉という男がいた。

便が立ち、才能もあったが、

大酒飲みで怠け癖があったため、

たいそう貧しい暮らしをしていた。

年末になると元吉は、

二宮先生のところにやってきて、

もち米を貸して欲しいと願い出た。

すると先生は、こう言った。

そなたのように年中稼業を怠り、

働かず銭さえあれば酒を飲む男が

正月だからといって1年間努力精進

し続けたものたちと同様に、

持ちを食おうというのは

心得違いも甚だしい。

正月は不意にやってくるものではなく、

また米も偶然得られるものではない。

正月は360日明け暮れしてやってくる。

米は春に耕し、夏は草を取り、

秋に刈り取り。始めて米となるのだ。

しかし、そなたは春に耕さず、

夏に草を取らず、

秋に刈り取らずに過ごしてきた。

それで米が無いのは

当たり前のことではないか。

正月だからといって

餅が食える道理がどこにある。

今ここで貸しても、

どうして返せるのか。

返す道がなければ、

そなたは罪人になってしまう。

すると元吉は自らの過ちを

悔いてこう言った。

私は怠け者で稼業を怠り、

酒を飲んで暮らしていながら、

年中、仕事に励む者たちと同じ気持ちで

正月を迎えようとしていました。

この正月は餅を口にせず、

過ちを悔いて年を取ります。

年が明けたら2日から稼業を始め、

この身を削って精進し、

次の正月こそは人並みに

餅をついて祝えるようにします。

元吉は深々と礼をし感謝を伝えると、

肩を落としながら門を出た。

すると二宮先生は元吉を呼び戻し、

自分の手に握っていた金1両と

白米やもち米を添えて与えられた。

これ以来、元吉は人が変わったように

勤勉な男となり立派に生涯を終えたのだった。

かつて、中国の思想家であった孔子は、

儒教における最重要特目として「仁」をあげました。

これは簡単に言えば人を思いやる心のことで、

優れた指導者の必須条件と言われています。

今の2人のやり取りは、まさに金次郎の持つ

仁の徳目が光る名場面であったと言えます。

元吉は怠け者の大酒のみとして

有名な男でしたので、

初めから相手にしないという

選択もできたはずです。

ところが、金次郎はただ叱って突き放つことも、

ただ与えることもしませんでした。

元吉の一挙手一投足を観察しながら、

どんな言葉で彼を教え諭せばいいのか?

どのタイミングで、今手に握っている

お金を渡せばいいのかと

真剣に考え、悩みながら、

あのような対応をしたのです。

金次郎は、真面目一辺倒ではなく、

こういった他者を慈しむ

心の余裕があったからこそ、

多くの人を魅了したのかもしれません。

金次郎の遺言

最後に、金次郎が死の間際に

弟子に伝えたとされる

遺言を取り上げたいと思います。

とても短い内容ですが、

そこには彼の人柄や思想が、

とても美しく表現されています。

ここまでの内容を振り返りながら

読んでみてくださいね。

私を葬るのに部を越えてはならない。

墓石を立てることも不要である。

土を盛り上げ、その傍らに松の木を

一本植えておけばそれで良い。

二宮金次郎は、正に聖人君子に

相応しいと思いました。

どうやったら、

この領域に到達で来るのかと思いつつ、

学校教育で取り上げて

欲しいと思いました。

また、政治家にも読んで頂いて、

国民の生命と財産を守るという使命を

果たして欲しいと思いました。

この内容が参考になれば嬉しいです。


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