【書評】「いつか必ず死ぬのになぜ君は生きるのか」から生きる哲学を学ぼう

こんにちは! せがひろです。

今回は、

「いつか必ず死ぬのになぜ君は生きるのか」

これについて解説したいと思います。

「なぜ生きているのか?」

考えたことってありませんか。

私は20代のときに考えたことがあります。

正直、答えは導き出せませんでした。

勘違いしないで欲しいのですが、

生きる根拠が無いから死んだ方が

良いということではありません。

当時、私は分からなかったけど

若いなりの結論としては、

「死ぬのが怖かったので生きよう」

「いつか必ず死を迎えるから自ら断つことは無い」

そんな風に捉えて、

今は50代です。

今回紹介する本の著者は

20世紀の日本を代表する思想家で、

宇宙工学系が有名で

「知の巨人」と呼ばれた方です。

そんな優れた著者が考える

生死を元にした「人間とは何か」

という思想を理解していきましょう!

なぜ、私たちは生きるのか?

分子生物学が導きだした

「身も蓋もない人生の結論」

いつか必ず死ぬのに私たちは、

なぜ生きているのか?

これは人生における

究極の問いの一つです。

その答えを知るために

まずは、人間が何者なのかを

知る必要があると思います。

著者は、人間とは何かを知るのに

自分以外の人間すべてと

自分との関係性を考えなければ

ならないと伝えています。

なぜなら人間とは

関係性の動物であり、

その関係性は「違い」から生まれ、

人間とは何かを知るために

最も大切なのは、

私たち人間ひとりひとりの

違いについて

知ることだということです。

著者がいう人間の違いとは

人種という意味ではなく、

メンタルな存在としての

人間の多様性のことです。

つまり、人間の心の中の

多様性について知る必要がある。

メンタルの世界は物質世界と違い

普遍的ではなく個性的です。

なので、私たちの世界認識は

個々人によって異なるということです。

例えば、同じ景色をみていても

自分と他人とでは認識内容が異なる。

子供が大人になるというのも、

他人は自分と全く異なった存在で、

モノの見方や感じ方が全て違う

という事実を知ることに他ならない。

そう著者は伝えています。

子供は、この世界は

異質な世界認識をしている

他人たちで充満している

という事実を知ることによって、

始めて大人になるわけです。

なので、子供が大人になるためには

他者と出会わなければならない。

自分とは異質な人間と出会い、

自分との違いが判るところまで

相手に接近してみる

必要があるということです。

人間の関係性は、

まさしくこのようにして生まれた。

つまり、子供が大人になる過程は

私たち人間の進化の過程そのもの。

そう著者は伝えています。

私たち人類は文明を持つために

どれほど捕食されてきたでしょうか?

ライオンやクマなどの捕食者からの

脅威から逃れるために

人は闘争を続けやっとここまで

生きることができたのです。

野生の動物に比べ虚弱で体が小さい

人類が生きてこられたのは、

まさしく私たち人間の

社会性の賜物です。

仲間にいち早く危険を知らせ、

互いに助け合って危機を逃れる。

人は狩りをする存在であるとともに

狩られる存在でもあったがために

社会性をここまで

発達させることができたのです。

このように進化した私たち

人間の社会性は、

決して美しい側面だけではないと

著者は伝えています。

人間は自然界で

弱い存在であったがために、

ありとあらゆる卑怯な手を使って

種の存続を図った来ました。

実際に世の中をみてみると

人間社会は美しい相利共生関係だけで

できているわけではありませんん。

騙し合うことも、奪い合うことも、

人間社会の中には

さもしい関係性が至る所に

展開されていることが分かるでしょう。

そうであれば私たち人間は

猿のような動物と何が違うのでしょうか。

人間と猿の違い

猿山の頂上を目指し

他人を蹴落として、

ときに他者にマウントを取って

いい気になる猿たちが、

私たち人間といったい

何が異なるのでしょうか?

私たちは猿から多くのことを

学ばなければなりません。

私たち人間と動物的なものを

区別するものが何なのかを知るた

猿は重要なヒントを与えてくれます。

いつどこでどのようにして

猿が人になったのかが分かれば、

猿と人との違い、ひいては動物と

人間との違いが分かるはずだからです。

人間とサルの違いを考えるとき、

哲学では猿がシェイクスピアの

作品を書けるか?

という問いが持ち出されます。

猿にタイプライターを与え

機械的な操作方法を教え込みます。

そして毎日毎日めちゃくちゃに

タイプを叩かせます。

もちろん猿は人間の言語を

理解しませんから、

それは無意味なアルファベットの

羅列出しかないでしょう。

しかし、それを永遠と続けていれば

ある時、全く偶然に一つか二つの

意味のある単語を

叩き出すことがあるでしょう。

更にそれが続けば、

これまた全く偶然にちゃんと

意味のある一文を

叩き出す可能性もあるでしょう。

更に更にそれを続けていけば

猿が全く偶然に、

シェイクスピアの作品と

全く同じ文章を

タイプライターで叩き出せるでしょうか?

理論的に

その可能性はゼロとは言えません。

ですが、そんなことが起こる可能性は、

非常に小さく事実上ゼロと言って

差し支えないでしょう。

かつて哲学は、このような論法によって

猿と人間は違うものであり、

人間は特別なんだと位置づけてきました。

しかし、20世紀後半に分子生物学が

目覚ましい発展をすることによって、

そのような哲学の論理は

崩されかけています。

最新の分子生物学によれば

生命の誕生は、

偶然の化学反応によって

起きたことに過ぎず、

生命の進化は

DNAの複製過程で起きた

偶然の事故の集積に

過ぎないと言われています。

そのような進化の頂点に立つ

人間の精神世界もまた

物質の偶然的な事件の

総和の産物に

過ぎないというわけです。

私たちのDNAは複製される際に

10万回に1度の確率で、

エラーを起こすと言われています。

猿の中でも最も人間に近いとされる

チンパンジーは私たち人間と同じく、

30億塩基対(えんきつい)の

DNAを持ちますが、

人間とチンパンジーのDNAの違いは

わずか2%と言われています。

30億の2%ですから単純計算で、

6,000万塩基対ということになります。

10万回に一度エラーが起こる複製で、

6,000万の塩基対が

置き換わるということは、

もの凄く単純に計算すると

10万分の一の6千万乗という、

天文学的に小さい確率

だということです。

これほどまでに小さい確率が

起こるということは、

まさに「奇跡」といえるでしょう。

しかし、私たち人間は

理由・意味を求める動物です。

それ故に私たちは人間の存在意義に

特別な意味を持ちたがります。

人間存在に物理現象以上の意味を

求めたがるものなのです。

分子生物学がここまで進歩する以前、

すなわち生命現象に

神秘的未知の領域が沢山ある間は、

そこに特別な意味を

求めるこは容易でした。

ですが科学が生命現象を

物理現象として

解明していくにつれて、

私たち人間の存在神秘は

消えつつあります。

やがて、全ての生命現象が

物理現象に還元され、

私たち人間の存在には

何の特別な意味もないことが

完膚なきまでに証明

されてしまうかもしれません。

そうなった時、あなたは、

どう生きますか?

残念ながら、

この問いに答えはありません。

答えの無いこの問いこそ、

著者が私たちに提示した

人生の哲学なのです。

なぜ、私たちは生きるのか?(まとめ)

私たち人類は生存競争を勝ち抜く中で

高度な社会性を身につけてきた。

しかし、その社会性は

決して洗練されたものではなく、

猿と同じように敵対心や

悪意に満ち溢れたのもである。

その後の分子生物学の発展により

人間が猿から進化したのは

DNAの複製過程で起こる物質的な

エラーの集積の結果に過ぎず、

人間の存在は決して

特別なものではないという、

身も蓋もない結論を

私たちに提示した。

このように人間存在が

無意味であると知った上で、

いかに生きるのか?

この問いこそが

著者が私たちに残した

生きるということの

哲学の真髄である。

なぜ、私たちは生きるのか?(感想)

決して、この本を批判するのではなく、

私の素朴な疑問というか感想としては、

物事というのは両方向から見て

比較検討しなければ、

真実は見えないと思っています。

(1)子供が大人になるというのは

他人は自分と全く異なった存在で

あることを理解するということ。

そのように説明されていますが、

なぜ、遺伝情報で

そのことが伝えられないのか?

そちらの方が気になりました。

(2)人間と猿の違いについて

シェイクスピアのタイプライターを

例にしていましたが、

その時点で人間の方が優れている

前提に立っていると思いました。

逆に人間が猿の言語を理解できるのか?

理解するのにどれぐらい掛かるのか?

人間、猿、それぞれに存在意義が

あるのではないかと思いました。

また、分子生物学の

DNA複製過程でのエラーについても、

エラーの定義が何も語られていません。

言葉通りに受け取ってしまうと

エラーって、

悪いことのイメージがありますよね。

私が思うに物理学、もっと言えば

アインシュタインですら、

神の存在を認めています。

何か理由があって、

この本で説明されているエラーが

発生したって思うんですけどねー。

私が子供の頃、

学校教育で人は猿から進化したと

学んだ記憶があります。

しかし、キリスト教などの宗教を

信じている人は、

「神が創造した」

そう教わっているはずです。

言葉の定義とか、

前提が曖昧だと

間違った認識をしてしまう

可能性があります。

読書というのは内容を

鵜呑みにするのではなく、

「どう感じたか?」感想を持つ。

自分の意見をしっかり持つことが

重要だと改めて思いました。

死の哲学3選

ここまでに人間の存在意義の

ようなものを解説してきました。

私の感情では本書について

疑問に感じたことを伝えましたが、

この本でも、人はそれぞれ違う。

多様性を持っているという

ことですから、

ここでの解説を参考に

自分なりの答えを

見つけて欲しいと思います。

それで、ここでは独特の死生観を持つ

著者が考える「死」というテーマについて

3つの内容を紹介したいと思います。

臓器移植の真実と心臓をえぐり取られて死んだ犬

日本での臓器移植というのは

まだまだ浸透していません。

しかし、最先端を行くアメリカでは

臓器移植は一大医療産業となっています。

日本では、年間400件程度ですが、

アメリカでは、年間1万4千件で、

この数字からもアメリカの移植医療の

先進ぶりを如実に表していると言えます。

また、臓器が摘出された後の遺体から

脂肪や筋肉といった組織までもが摘出され、

全米の医療組織に配布されます。

著者は人間の遺体が徹底的に

再利用されている現場を

目の当たりにしました。

そこでは骨や皮膚、血管に至るまで

あらゆる利用可能な組織が

遺体から取り出され、

検査され処理されるのです。

そして巨大な冷蔵庫にブロックごと

カットされた遺体が

ずらっと並んでいたそうです。

遺体の再利用の徹底性は

驚くレベルに達しており、

例えるなら、肉食獣の

おこぼれに預かったハイエナが

骨の髄までしゃぶりつくすのに

似ていると著者は伝えています。

野生動物のハイエナやハゲタカが

やっていることを

人間世界では医療や赤十字が

行っているのです。

著者は、これこそ最も現代的な

食物連鎖であり、

生命連鎖の末端であると

伝えています。

現代社会では人間が食物連鎖の

食われる側に回ることは

滅多にないものの、

人間の肉体が徹底的にばらされて

再利用されていく様は、

正に人工的な生命連鎖

そのものである。

「死が生を支えている」というと

聞こえがいいかもしれません。

ですが、現実の医療現場は

決して美しいものではありません。

犬を使って心臓移植の実験手術

人間でしたら脳死のドナーから

心臓移植を行うことはあります。

しかし、犬の場合には

両者が健康なままの状態で実験します。

両者を手術台に並べ

ドナーから心臓が切り取られると

全員の目が、

その心臓に集中します。

その時、切り取られた側の

犬には誰も関心を寄せません。

移植された心臓の血流が

再開するのを見て、

著者は思わず拍手をする

感動を受けたそうです。

ですが、手術現場を心臓を

切り取られた側の犬に向けた時、

つい先ほどまで健康に

生きていた犬が、

今は心臓をえぐり取られた

死体として

転がっているのをみたのです。

一方の手術台には

命と喜びがあるが、

もう一方の手術台には

ただ死体が転がっている。。。

(犬を飼っている方でしたら

居たたまれないと思います。

せめて、両犬の心臓を

入れ替えることを

やれないものかと

私は思いました。)

「これが移植の真実かー」と

著者を思ったそうです。

一方に生を与えれば、

他方には死が残るのです。

だからといって著者は移植医療に

反対しているわけではありません。

生きる喜びの裏に常に潜む

暗い部分から決して

目を背けてはいけない。

そのことを伝えています。

自殺するのは悪いことじゃない

日本では毎年の

自殺者数が2万にを超え、

G7の中では

第一位であり続けています。

いじめが原因で自殺すると

大きなニュースになるなど

日本では今や自殺は

社会問題といえるでしょう。

ですが、自殺は本当に

いけないことなのでしょうか?

(誤解が無いように伝えると

自殺する理由についての話です。)

著者は必ずしも自殺がいけない

ことだとは考えていないそうです。

幼少期から青年時代にかけて

一度も自殺したいと思ったことが無い。

なんて人はいないのではないでしょうか?

もし、一度も自殺を考えたことが

無い人がいたとしたら、

その人は心の成長過程に

何か欠陥があるのではないか。

そのように著者は伝えています。

普通に育っていけば、

どこかの段階で「死にたい」

そう考えることが必ずある。

それはむしろ、人間の健全な

精神的成長の一段階なのではないか。

医学的には小児精神医学で

アイデンティティーの悩みが

心の発達に不可欠で、

自殺について考えること自体は

決して悪いことでは

ないと言えるそうです。

自殺について考えることは

悪いことではないとしても、

実際に自殺してしまうのは

悪いことなのではないか?

著者は、子どもが自殺したいと考え、

実行に移すことはあり得ることで、

絶対ダメだとは言い切れないと

伝えています。

もし実行に移さないのであれば、

「真剣に悩み抜いた」と言えるのか?

真剣に悩み抜いたからこその実行

なのではないでしょうか。

もし、その選択が本気で

悩み抜いた結果なのであれば、

「自殺しないこと」を選んだのが

悪でないのと同じように、

「自殺すること」を選ぶのもまた

悪では無いのではないでしょうか。

なんか、禅問答のようになっていますが、

この問いに正解はありません。

以前、『「死」とは何か』という本を

取り上げたことがあります。

その中で「自殺が常に悪いとも言えない!?

という内容で解説しました。

あと、以下の動画の中で、

https://youtu.be/1pq4m1eEqSw

人はやりたいことが無くなると、

欲求が無くなると、

生きていることに

疑問を持ち希望を失い、

死への恐怖がなくなるそうです。

つまり、夢や希望というのが、

とても大事だということです。

といった内容を伝えています。

興味がある方は、

視聴してみてください。

死とは何か?

著者は、人が死を恐れる理由として

3つ伝えています。

①死によって自分の存在が

この世から消えてしまう恐怖

②痛みなどの

死のプロセスについての恐怖

③死後の世界

に対する恐怖

この中で②のプロセスは

医療的な問題③は宗教の問題と言えます。

宗教的なことで言えば、

死後の世界を約束することで

死への恐怖を克服しようとしていますよね。

医療的に言えば、

ターミナルケアの発展により

ほとんどの痛みは

回避可能になりつつあります。

しかし、①の自分の存在が

この世から消えてしまうことについては、

人類にとって未知のもで

あり続けています。

人間は未知なものを

本能的に怖がります。

人は成長過程で何度も

初体験を経験します。

入学や就職、結婚など

そのたびに不安で

いっぱいになるものです。

しかし、ほとんどの初体験というのは

周りに経験者がいたり、

ネットで検索すれば初体験の情報を

手に入れることができます。

場合によっては経験者から

手取り足取り教えて貰えることもあります。

それに対して死という人生最後の

ライフステージに関してだけは、

誰も確実な予備知識を与えてくれません。

著者は、死だけは、

たった一人で何の予備知識もなしに

通過しなければならない

ライフステージだと伝えています。

死の向こう側に行った人は、

誰一人として得た知識を

こちら側に持ち帰ってこない。

だからこそ死は永遠の謎であり、

永遠の不安と恐怖の対象で

あり続けてきたのです。

ちなみに、先程紹介した

『「死」とは何か』の中では、

毎日、睡眠という状態で

死を体験していると伝えています。

今回は『「死」とは何か』これを取り上げたいと思います。この書籍では死とはどういうことなのかをシェリー・ケーガン先生が語っています。もちろんハッピーなテーマではありませんが「死」について考えることは大事だと思います。もう語りつくされていることですが、何を目指すにしてもゴール地点から逆算して段取りを考えるのが大事ですよね。

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