【書評】「反応しない練習」からブッダの思想を学び心の洗濯をしよう

こんにちは! せがひろです。

私は、嫌なことがあると、

結構、尾を引いてしまう

性格でした。

忘れよう、忘れようとしても、

ふと思い出してイヤな気分に

なったりしてました。

そんな時、この本と出会い、

ブッダの思想に感銘を受けました。

ザックリ言うと、

嫌なことに反応しなくする

方法が解説されています。

現代社会では、

テレビやネットなどから、

無数の情報が飛び込んできます。

自分らしくいるためには、

とても参考になる本だと思いました。

それではポイントを

絞って紹介します。

反応しない

将来の不安や人間関係のストレスなど、

生きていると悩みはつきものだが、

あらゆる悩みは心の反応から

始まっているものです。

そこで、無駄な反応をしない。

それが悩みの根本的な解消に

なるというのが、本書のテーマです。

この考えは著者が

考案したものではなく、

2500年以上も前に

ブッダが説いた悩み解消法です。

ムダな反応を

しないようにするには、

大きく分けて

2つの方法があります。

この2つを順番に

解説していきたいと思います。

心の反応を見る(瞑想)

ブッダの教えの基本は、

悩みを理解することから始まります。

そこで、まず悩みの正体(原因)を

考えることが大切です。

例えば、職場や家族など、

周りの人にイラっとすることが増えて、

ストレスが溜まっているとしましょう。

それは、周囲の人に不満や物足りなさを

感じているからではないでしょうか?

そこから更に遡って、

真の理由を考えてみたとき、

ブッダは次のように伝えています。

「苦しみをもたらしているものは、

快(喜び)を求めてやまない!求める心なのだ。」

この求める心には、

・生存欲

・睡眠欲

・食欲

・性欲

・怠慢欲

・音や視覚による快楽

・承認欲

といった7つの欲があります。

これが満たされれば人は快を感じ、

満たされなければ不満が生じるわけです。

基本的に人の心は、

「快/不快」の二者択一です。

人間の心とは際限なく

「求め続けるもの」であり、

これにいちいち反応することが、

ブッダの言う無駄な反応である。

大切なのは、

心とはそもそもそういうものだと

理解しておくことです。

心とは求め続けるもの、

だから乾き続けるのは仕方がないと

理解することが大切です。

心は求め続けるものだと理解すると、

不思議な心境の変化が訪れます。

「このままではいけない」

「何かが足りない」という、

負の感情が収まって、

「人生はそういうもの」

「これでいいのだ」という、

大きな肯定が

可能になるのです。

特に現代人にとって

重要なのが「承認欲」です。

人に認められたいという欲求から、

他者の目ばかり意識するようになり、

嫉妬や劣等感に繋がってしまう。

こうした悩みに対して、

「認めて欲しい」という欲が、

自分にあることを

理解しておくべきです。

そもそも、家族や世間に

認められたからなんだというのだ?

超クールに考えることも

できるはずです。

自分を認めて欲しい、

愛して欲しい、

評価して欲しい、

などの承認欲求を

持っていると、

周りの期待に答えてくれない

人間ばかりなので、

不満を感じます。

自分の求める承認欲求が

満たされないと、

「世間はバカばっかりだ!」

という怒りの感情が

芽生えてしまいます。

つまり、

「他人の小さなことが

目について不満を感じてしまう。」

というのは、

「もっと自分を認めて欲しい。」

という承認欲求です。

じゃあどうすれば、

求めるものが手に入らない。

という苦しみから逃れられるのか?

そこで苦しみから

解放される三つの方法があります。

①理解してラベリングする

「疲れを感じているな」

「イライラしているな」

「凹んでいるな」

言葉にすることで、

心の状態にラベルを貼って

理解してしまうのです。

その際、目を閉じて確認すると、

より心が落ち着きます。

人がなぜいつまでも悩みから

抜け出せないかというと、

自分の心が

見えないからです。

心の渇きの正体が

分かるだけで、

その不満状態から

抜け出せるのです。

まずは、ニュートラルな目で

自分の心を理解するように

努めましょう。

②体の感覚を意識する

目を閉じて、

ただ体の感覚に意識を

集中してみましょう。

これはストレスなどが

溜まった心をリフレッシュする

抜群の効果があります。

「足の裏の感覚」

「肺に空気が入る感覚」

「外の匂い」など、

身体の感覚に

集中してみましょう。

これは瞑想とも

呼ばれています。

③頭の中の想いを分類する

自分のその時の心の状態を

(1)貪欲・(2)怒り・(3)妄想

この三つに分類します。

(1)貪欲に心の状態を分類する時は、

求めすぎや、期待し過ぎの時です。

人間関係における不満は、

大体がこの求めすぎる心から来ています。

(2)怒りに心の状態を分類する時は、

機嫌が悪かったりイライラしている時です。

(3)妄想に分類するのは、

想像したり思いだしたりしている時です。

「つい余計なことを考えてしまったり、

落ち着いて物事に取組めない」

という状態が妄想に分類されます。

この中で妄想が一番厄介です。

一日中絶え間なく人間は

妄想しています。

妄想をリセットするには、

「今妄想している」と客観的に

言葉で確認することです。

そして妄想が止まらない時は、

体の感覚に集中することです。

悩みはいつも、

心の内側に生じます。

心の内から生じる悩みを消すには、

心の外にある身体の感覚に意識を

向けることがベストです。

ブッダの考えは、

自分の判断を一切せずに、

あるものをあるとだけ、

ありのままに物事を見て、

正しい理解をすることを

目的としています。

正しい理解に反応はありませんし、

ただ見ているだけです。

ブッダの教えとは、

正しい理解によって、

人間の苦悩から

自由になる方法のことです。

みんな自然と辿り着くブッダの考え方

みんな、最終的にはブッダの

考え方にたどり着きます。

「精神科医」が患者に教える

内容なども元を辿れば、

ブッダの考えを基本に

していることがほとんどです。

コロコロ変わる健康療法や

食事療法とはわけが違います。

時代が変わっても普遍で、

信頼性のあるものの考え方を

身につけておくと、

ブレずに力強く

人生を歩んでいけます。

ブッダの教えを宗教的なイメージで

捉える人が多いですが、

実際は全く違って、

物事をとことん理詰めで考えていく

スタイルでブレることがありません。

世間の人が何となく信じている内容を

すべて疑っていくスタイルなので、

もはや哲学と言えるわけです。

例えば、「貧乏だから私は不幸だ」と、

世間では考える人が多いですが、

ブッダはそこを貧乏=不幸というのは、

「本当にそうか?」と疑っていきます。

あるいは、

「あの人がこんなに酷いことをしてくる。」

「だから私は苦しい。」

というのも、

「本当にそうか?」と疑っていきます。

このように、なんとなく世間一般が

信じている内容をとことん疑っていくと、

苦しみの本当の原因は、

自分の心の反応であるというのを

ブッダは発見したわけです。

これがブッダの

「理詰めの思考法・哲学的思考法」です。

皆が何となく信じていることを排除

していく考え方をする人だからこそ、

世間一般の人よりも、

より「宗教色」が薄く、

より「科学的」であると

言えるわけです。

ブッダは「盲信」することを

一切しません。

また、超合理人間(プラス思考)

自分の役に立つかどうかで

考えていいと伝えています。

自分の役に立つ考えなら

持ち続ければいいし、

役に立たない考えかたなら

捨てればいい。

それだけのこと。

極端にいうと幸せな気分になれる

考え方なら遺して、

憂鬱な気分にさせる考え方は

断捨離すればいいということです。

同様に、他者を幸せに

向かわせる言葉を残し、

他者を不幸に向かわせる言葉を

全部捨てるという発想です。

ブッダの言葉

『私が言葉を語るのは、

相手に「利益」となる場合である。

「真実」であり、

相手に「利益」をもたらす言葉であれば、

時に相手が好まない言葉であっても、

語るべき時に語る。』

良し悪しを判断しない

悩みの元には主観的な判断が

ある場合が多いです。

「あの人はいい人だ」

「あの人は悪い人だ」

「このままじゃだめだ」

「こんなのくだらない」など、

こうした判断は

沢山の悩みを作り出します。

物事の良し悪しや正誤判断すると、

わかった気になって気分がいいし、

承認欲求を満たせるのです。

仏教的には判断も一種の執着です。

人が苦しみを感じる時、

その心には必ず執着があるのです。

普通に仕事が上手くいかない、

という事実だけなら傷つきません。

しかし、そこから仕事が

上手くいかないから、

自分はダメな人間だと

勝手に妄想するから傷つきます。

「こうじゃないとダメだ」

という思い込みによる判断が、

悲しみを生んでいます。

世間に溢れる情報から、

「こうでなければいけない」と

判断したとしても、

ただの妄想に過ぎません。

逆説的にいうと、

仏教が目指す「正しい理解」とは、

「正しいと判断しない」理解なのです。

他人との関係においても、

まず自分が判断していることに気づき、

「人は人、自分は自分」

明確な境界線を引くことが、

ブッダの教えのポイントになります。

自分や他人に対して良い悪いという、

判断をしてもメリットはありません。

良い悪いと判断することで

苦しみが生じるなら、

その考え方を辞めた方が

いいということです。

判断から自由になるには、

「今、判断した」と気付くことです。

「失敗したなぁ」

「これじゃだめだ」

「あの人は嫌い」

などと思った時は、

「あ、判断した」と気付いてください。

自分のことも「優れている」とも、

「劣っている」とも判断してはいけません。

そもそも、私たちに誰かを

正しいとか間違っているとか、

判断する資格はありません。

一般的な人の考えている内容は、

50%は間違っていると言われています。

では、相手が怒りの感情を、

ぶつけてきた場合はどうでしょう?

そこでカッとなって言い返すと、

自分も同じ反応をすることになります。

こうしたとき、ブッダは「正しさ」とは、

人それぞれ違うものだと理解しました。

相手の言い訳を

否定するわけでもなければ、

自分の方が正しいと

相手を説得するわけでもありません。

「あなたにとっては、

それが正しいのですね。」と、

ただ理解する。

反応しても自分が苦しむだけなので、

「反応しないことが最高の勝利」

という合理的な態度をとったのです。

相手の感情に

反応しないためのコツとして、

「心の半分を前に、もう半分を後ろに使う。」

それをイメージするといいわけです。

「前」は相手を理解することに向け、

「後ろ」は自分の心の反応をみる

ように意識します。

何かに接すれば、

心が動き続けるのは当然のことなのです。

その動き続ける心を見張ることで、

それ以上の反応を止めるようにします。

日頃ネガティブな思考が

止まらなくなったら、

そこでゲームオーバーだという

気持ちで心を見張りましょう。

「これこそが正しい」と

主張することをやめましょう。

見解への執着を

ただの執着であると理解して、

他者の過ちを

ただ過ちとして裁かずに

理解することに徹しましょう。

「良し悪しの判断をしない」

「好き嫌いの判断をしない」

このスキルさえ習得すれば無敵です!

ついつい判断してしまっている例

ネットの情報など、他の人の話を聞いて

「この人にはお金がある、私にはない。だから不幸だ。」

「私は成功者ではない」

「無職だなんて、なんて私はダメな人間なんだ」

「世間体があまり良くない仕事をしている。恥ずかしい。」

「こんな年齢になっても結婚できない」

「私はモテない人間だ。悲しい。」

(これは二重の判断が

入っているケースで、

ダメな人間と判断し、

モテない人間だと判断し、

だから不幸だと

判断しています。

これらの判断は、

自分の心が決めつけているに過ぎない、

全て根拠のないただの妄想なんです。

色々と判断している

全てのことが、

実は妄想であることを

良く示すエピソード紹介します。

そうかもしれない、そうじゃないかもしれない

ある日、村の賢者に農夫が尋ねた

賢者さん、最悪だ!うちの牛が死んで畑を耕せない。

賢者は答えた

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない

その翌日、農夫の畑のそばに1頭の若くてたくましい野生の馬が現れたので、牛の代わりとして捕まえることができた。

農夫は言った

賢者さんの言う通りだ。牛が死んだのは最悪じゃなかった。

牛が死んだからこそ、新しい馬が手に入った

賢者は言う

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない

数日後、農夫の息子が馬から振り落とされ、足を骨折して畑仕事が手伝えなくなった。

農夫は言った

あの馬が現れたのは最高じゃなくて最悪だと、なぜわかった?

息子は仕事ができなくなっちまった。

今度こそ最悪だ。

賢者は言う

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない

数日後、急に戦争がはじまり、健康な男を一人残らず徴兵しようと軍隊がやってきた。

そして、農夫の息子だけが徴兵を免れた。

他の若者はみんな戦死する運命なのに「ケガのおかげ」で彼だけ命が助かった。

これが2500年前から変わらない

「世の中の真理」です。

会社を首になる・ならない

お金持ちになる・ならない

病気になる・ならない

全てが良いことだったのか、

悪いことだったのか、

実際は良くわからない。

特に価値観が激動する今の時代は、

良くあてはまると思いませんか?

お金をたくさん持っている方が良いか・悪いか

社会的地位が高い方が良いか・悪いか

学歴があった方が良いか・悪いかなど、

今後どうなるかは、

何とも言えないわけです。

最近、中卒や高卒で、

億万長者の人の話とか良く見かけます。

学歴って、本当に必要なのか?

疑問なところです。

スポーツの世界なんかでも、

高卒でプロに入るのと

大卒で入るのとでは、

現役期間が

4年違うわけじゃないですか。

そういった風に、

今の時代は何が正解か分からなく、

ある時点の価値観だけで

判断しているように見受けられます。

私は、お金より時間を

大切にしたいと思っています。

全ての時間をお金を稼ぐことに

費やしたいとは考えていません。

考え方は、人それぞれですが、

失った時間というのは、

買い戻すことはできません。

その反面、お金があるからこそ

できることもあります。

また、悪いと思っている

状態の時こそが、

チャンスってこともあります。

インターネットの発達により、

在宅勤務がやり易くなった

という例もあります。

これらの全ての出来事、

全ての物事が、

良い事なのか悪いことなのか

断言できないことを

「完璧に知っていた人」

それがブッダなんです。

ちなみに、「ブッダ」という

言葉の意味するところは、

宗教的なものではなく、

「正しい理解を極めた人」

という意味です。

要は、世界について

「とことん合理的に哲学していった人」

と言えると思います。

ブッダは、良し悪しの判断基準が、

時代背景やそれぞれの立場によって、

いろいろ変化することを

完璧に知っていたということです。

ブッダは世間の評価や、

世間の価値基準に、

右往左往することなく、

常に安定したメンタルを

保つことができたわけです。

本には、次のように書いてあります。

人が悩みを抱えるのは、

「判断」しすぎるからです。

「判断」とは、

この仕事に意味があるとか・ないとか、

人生は生きている値打ちがるとか・ないとか、

彼と自分を比較すれば、

どちらが優れている・劣っているといった

「決めつけ」「思い込み」のことです。

「失敗した」「最悪」「ついてない」なども判断

「うまくいかないのでは?」という不安も、

「あの人は嫌い」といった人物評も、

すべて判断です。

自分に「何のメリットももたらされない無駄な判断」をなくせば、

心はすっきりと軽くなります。

人生はすいすいと渡りやすくなります。

目覚めたものは人間が語る見解、

意見、知識や決まりごとに囚われません。

彼は「良し悪しを判断しない」んです。

判断によって心を汚しません。

ブッダは「正しい方法」のみを説きます。

こうして「私が」という自意識から

自由でいられるんです。

つまり、思考が柔軟だということです。

例えば、世間で叩かれている人を見ても、

「どうかな?本当に悪い人かな?」と考えるし、

仕事を失っても、

「っま、人生なんてこんなもんかな。」

「また探せばいいや!」と考えられるし、

重大な過ちを犯したとしても、

きちんと謝って反省した上で、

「人間なんだから仕方ない!」

「次は気を付けよう!」と、

素早く気持ちを

切り替えることができる。

これが「思考が柔軟な人」

つまりブッダだということです。

そして苦しみから逃れるためには、

自分に起こった出来事が、

良いことだったのか、

悪いことだったのか、

という判断をなくすだけでなく、

「世間的な正しさ」

「常識的な正しさ」

という「判断」も、

無くしていくことが大切です。

「ブッダ」が教えている内容や、

「仏教」が説いている内容が、

「世間的な正しさに拘らない」

と聞くと意外かもしれないが、

「まず自分の中の苦しみを取り去る」

というステージの人なら、

とても大切な考え方です。

「こうでなければならない」という、

生き方を止めるところから、

「苦しまない人生・楽な人生」が、

始まります。

全ての事柄に関して「判断する癖」を、

ちょっとずつ取り除いてみてください。

「正しさ」に拘らない

ブッダは弟子に

次のような話をしています。

ある国の王様が宮殿に

生まれつき盲目の人達を集めて象を触らせました。

一人には象の鼻を、

一人には象の足を、

一人には象のしっぽをと、

象の一部だけを触らせて、

「では、象とはどんなものか言ってみよ」と命じた。

すると、

一人の人は「木の棒のようなものです。」と答え、

一人は「宮殿の柱のようなものです。」と答え、

一人は「放棄のようなものです」と答えました。

他の部分を触った盲人たちも、

それぞれに「象とはこんなものだ」と主張して、

「お前は間違っている!」と

殴り合いのけんかを始めました。

この話は、世の中の全てを

言い表しています。

「人間社会とは、

このようにできている。」

という、

とても分かりやすい

例え話です。

どんな難解な

哲学も、

政治の話も、

宗教の話も、

はたまた、

夫婦喧嘩も、

子供の喧嘩も、

全てがこの例え話に

凝縮されています。

人間というのは、

皆それぞれ立っている場所も、

見ているものも、

全く違うにも関わらず、

全てを理解した気になって、

自分が正しいと思い込んで

いるということです。

正しさなんて、

完全に人それぞれです。

鬼滅の刃の無限列車編で、

煉獄杏寿郎と猗窩座の

会話の中で、

「物事の価値基準が違う!」

ってありましたよね。

片や鬼の素晴らしさを語り、

片や人間の素晴らしさを

語るっていうね。

あるいは、

マイホームを購入するのに

一戸建てがいいとか、

マンションがいいだとか、

会社員人生の人、

フリーランスの人、

ミニマリスト、

ベジタリアンなど、

正解は、人それぞれなんですね。

これこそが多様性のある社会です。

そしてこれが「思考が柔軟」で、

「本当の自由」を手に入れた人の

考え方ということです。

いかなる考え方、

いかなる価値基準にも

囚われないことで、

はじめて本当の自由が

手に入るわけです。

同時に人生における、

ほとんどの悩みごとから

解放されます。

この生き方は、

いわば、石を避けながら

サラサラと流れる

小川のような生き方です。

ブッダが言わんとしていることは、

どんな判断も、どんな価値基準も、

「妄想に過ぎない」

ということなんですね。

「ただの妄想」にも関わらず、

自分の判断や、

世間の価値基準に執着してしまい、

苦しみが生まれる。

大切なのは、

「すぐ判断してしまう癖に毎回気づくこと」

「自分のためにならない妄想癖をストップすること」

「私はダメだ」とか、

「あの人はダメだ」と判断しても、

誰のためにも

ならないとうことです。

世の中を正しく理解するとは、

「何事にも正しいとは言い切れない」

そのことを

完璧に理解することです。

「正しさに拘らない」とは、

「世間が言う正しさに拘らない」

「自分の主観での正しさにも拘らない」

という意味です。

本には、次のように書いてあります。

「正しい理解」とは、

「自分が正しい」と考えることではありません。

「自分流の見方・考え方で理解する」

ことでもありません。

むしろ逆に、

「自分はこう考える」という判断や、

解釈や、モノの見方を一切差し引いて、

「ある」ものを「ある」とだけ、

ありのままに、客観的に、

主観抜きのニュートラルな目で、

物事を見据えることを意味しています。

「正しい理解」に「反応」はありません。

「ただ見ているだけ」です。

そういう徹底したクリアな心で、

自分を、相手を、世界を理解することを

「正しい理解」と表現しています。

この考え方は一見、

他人に対しては寛容になれるが、

自分のために

ならないのではないかと

思ってしまいますが、

そんなことはありません。

「自分の中の正しさ」に拘り続け、

ネガティブな気分になって、

常にダメージを受け続けるのは、

まぎれもなく自分自身です。

その自分を苦しめ続ける

思考パターンから

解放してくれるのが、

この「正しさに拘らない」

という考え方です。

こういう考え方が

ある程度できるようになるだけで、

ストレスもたまらず、

争いも減って、

以前よりも圧倒的に

楽に生きることが

できるようになります。

このブッダの考え方は、

一切フワフワせず、

常に「科学的」です。

日本人がイメージするような

「宗教的な要素」は全くありません。

「○○について研究観察すると、

XXという事実を発見した。

つまり、苦しみの原因はXXにある。

であれば、△△すれば

苦しみが取り除かれるはずだ。」

極めて科学的な

アプローチ方法を取っています。

「超合理的」かつ、

「理詰め」で考えていって、

「どうすれば人生の苦しみを消せるのか?」

ひたすら考えることに人生を捧げたのが

ブッダだということです。

そしてブッダがたどり着いた結論が、

「ムダな判断を無くせばいい」という結論です。

「人を裁くこと」や、

「自分を裁くこと」を

止めるということです。

「無駄な判断」を

日常生活で続ける限り、

どんなに成功しようが、

苦しみは無くなりません。

ブッダは、

そのことを完璧に

見抜いていたんです。

ブッダの教えは宗教ではなく哲学

宗教をはじめとする精神世界と

ブッダの思想の最大の違いは、

「妄想に意味を見るか」です。

仏教を前世や死後の世界を

説くものと

誤解している人も多いですが、

ブッダは一切そんなことは

説きませんでした。

その理由として、

「確かめようのないこと」

それを追いかけても

意味はなく、

苦しみを解くのに

役に立たないと述べています。

ブッダの教えとは、

苦しい現実を変える

ことでもなければ、

戦うことでもありません。

せめて苦しみを増やさず、

納得できる生き方をしようとする

合理的な思考法を説いています。

この納得も主観的なものだから、

自分で良しと思えれば、

それでいいわけです。

良しと思えればそれていいので、

快楽を求めるのも、

悪いことではありません。

むしろ快楽は、

大いに求めていいんです。

ただ気をつけなければ

いけないのは、

快楽を求めすぎて、

「焦り」とか「不安」とか、

「結果が出ないという不満」

それが芽生えるのなら、

その欲求は一旦、

手放さないといけない。

そういうことです。

欲求によって傷ついているのか、

欲求によって前向きになれているのか、

注意しなければいけません。

自分の心を

常に監視するようにして、

不快な感情が出てきたら

妄想だと気付いて、

その執着を手放すようにしましょう。

そして動物らしく欲求を求め、

但し執着せずに、

幸せな心で生きましょう。

このようにブッダは

宗教ではなく、

いかにリアルな世界で

快適に生きるかの

哲学を説いていたのでしょう。

神に祈るということではなく、

自分の心の中で整理する知恵を

伝えているんですね。

スポーツの経験がある人でしたら

分かると思いますが、

試合中にヤジを飛ばします。

それは相手の動揺を誘うためです。

あるいは、

冒頭で触れたテレビやネットの

ネガティブな情報なんかも、

メンタルへの影響が

大きいと感じます。

その汚れた情報から、

毎日、心や脳を洗濯しないと、

汚れがどんどん溜まってしまいます。

その汚れを落とすためには、

ブッダの思想を取り入れ、

瞑想することが大切です。

「サピエンス全史」の著者である、

ユヴァル・ノア・ハラリさんも、

瞑想の大切さを伝えています。

瞑想の仕方については、

別なブログで説明していますが、

いつも平常心で

最大のポテンシャルを発揮する

参考になれば嬉しいです。

補足:散歩によるストレス解消法

誰かを裁いたり、

物事を裁いたりして、

心がモヤモヤする時は、

とにかく体を動かすことです。

頭の中の「妄想」を止め、

苦しみを消したい時に、

一番手っ取り早い方法が散歩です。

散歩は「運動」にもなるから、

直接、健康に繋がるし、

その日の睡眠の質も上がるという、

一石三鳥くらいの破壊力があります。

手順は二つ

①ネガティブ思考の堂々巡りに気づくこと

堂々巡りが収まらないようなら、

②すぐに外に出て散歩すること

散歩している時は、

「右、左」と頭の中で

言葉で確認しながら

足裏の感覚を

感じ取るようにします。

ひたすら足裏の感覚だけに

全集中するんですね。

散歩している途中で、

「夜の空気は澄んでるなー」

と思ったら、

「匂いだけに集中」

してもいいし、

景色が気になりだしたら、

「視覚のみに集中」する。

大事なのは、

とにかく「心の内」に

意識を向けるのではなく、

「心の外」に意識を

向けていくこと、

つまり、五感で受信できる

情報に集中することです。

なぜなら、

苦しい時はいつも、

「心の内側」に

焦点が当たっているからです。

その焦点を意識して、

「外に外に」持っていくわけです。

外に出て散歩しながら

色々と景色を変えていく。

それがベストな選択となります。

もし、仕事中などで

外に出られない場合は、

鼻を通る空気の感覚に集中したり、

お腹の膨らみ・縮みの感覚に

集中するとかでも良いです。

もしくは、

読書に没頭したり、

気持ちが前向きになるような

YouTube動画を観るのも

お勧めです。

私は散歩以外でしたら、

クラシック音楽を聴いたりしてます。

最後にブッダの言葉です。

我が身を救う道は一つしかない。

外から押し寄せる苦しみを

苦しみと感じないような

独自の「あり方」を自助努力によって

つくりあげていくのである。

興味を持たれた方は、

一度、読んでみてください。

今回紹介した以外にも、

ためになる話が沢山あります。

以下の動画も参考になります。

https://youtu.be/Ybh0dSKEez8

以下のブログも参考になります。

普通に毎日生活していても苦しいと思ったり、この世界とは本当は何なのか?そして、自分とい存在はなんなのか?そんなことを思う事ってありませんか?少なくとも周りの情報に振り回されて、自分を見失うことは、あると思います。それを解消するのにお勧めなのが、ヴィパッサナー瞑想です。興味がありましたら、ぜひ最後まで読んでみてください。

自由で豊かに生きる方法を無料で見てみる


私は、会社員時代は単身赴任で全国を飛び回っていました。

毎日満員電車に揺られて出勤し、
嫌な上司からパワハラを受けながら働いていました。

給料は安くて、家賃や生活費で
ほとんど消えていました。

家族とは離れて暮らし、
週末も帰省する余裕もなく、

電話やメールでしか
連絡できませんでした。

家族との時間を失ってまで、

こんな人生で本当に幸せなのか?
自分は何のために生きているのか?

そんな悩みが頭から離れませんでした。

そんな時、ネットビジネス
というものに出会いました。

ネットビジネスとは、
インターネットを使って

自分の好きなことや得意なことを
商品やサービスとして提供するビジネスです。

私は、人間嫌いで一人で行動するのが
好きだったので、

ネットビジネスは
まさにピッタリだと思いました。

しかし、私にはネットビジネスの
知識も経験も資金も人脈もありませんでした。

どうすればいいか分からず、
不安や恐怖でいっぱいでした。

ですが、自由に生きるためには
リスクを背負ってでも

チャレンジするしかないと
思い切って飛び込んでみました。

そして、半年後、
私は初収益を達成しました。

今では、自動で稼ぐ仕組みを作り上げて、
お金と時間に縛られずに自由に生きています。

田舎で家族と一緒に暮らしたり、
旅行したり、趣味に没頭したり、

自分のやりたいことを
思う存分楽しんでいます。

私だけではありません。

私と同じ起業家仲間も、
単身赴任や出稼ぎなど

家族と離れて暮らしていた
人たちが多くいます。

彼らも私も、特別な才能やセンスや
資金があったわけではありません。

ただ、家族と一緒に生きたいという
強い思いと 行動力があっただけです。

あなたは今の人生に満足していますか?

毎日イヤイヤ働いて、
お金や時間に不自由して、

家族との時間を犠牲にして、
自分の夢ややりたいことを諦めて、

我慢・我慢で一生を終えるつもりですか?

私は、そんな人生は嫌だと思いました。

どうせ一度きりの人生なら、
自分の好きなように生きるべきです。

しかし、自由に生きるためには
何をどうしたらいいのか分からないですよねー。

私もそうでした。

そんな私がどのように単身赴任・出稼ぎ生活から
ネットビジネスで成功したのかを

詳しくまとめた電子書籍を作成しました。

この電子書籍では、
以下のことを学ぶことができます。

・ネットビジネスとは何か?
・メリットとデメリットは何か?
・成功するために必要なことは何か?
・稼ぐ仕組みと具体的な方法は何か?
・家族と一緒に生きるために必要なお金と時間の知識

この電子書籍を読めば、
あなたも 単身赴任・出稼ぎから脱出して

ネットビジネスで自由に生きる方法が分かります。

この電子書籍は、私がこれまでに培ってきた
ノウハウや経験を惜しみなく公開しています。

すでに読んで頂いた方からは、
「家族と一緒に暮らせるようになりました」
「単身赴任・出稼ぎの苦しみから解放されました」
「お金と時間の知識を知り、不安の根源がわかりました」 など、

嬉しい感想をたくさん頂いております。

この電子書籍は、
本来有料で販売する予定でしたが、

多くの人に単身赴任・出稼ぎから脱出して
自由に生きる方法を知って欲しいと思い、

期間限定で無料公開しています。

あなたも単身赴任・出稼ぎから脱出して
ネットビジネスで自由に生きる方法を学んでみませんか?

無料ですから、興味があれば覗いてみてください。
「パソコン一台で新しい田舎暮らし」を無料で見てみる



私の経歴は、こちらの記事で詳しく書いています。
自由を手に入れるまでの軌跡と思い


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。