こんにちは! せがひろです。
みなさんは、
タレントの内山信二さんを
ご存じでしょうか?
内山君っていったら
思い出しますかね?
あっぱれさんま大先生に出てた・・・
子役として大ブレイクし、
10歳にして最高月収3000万円。
ところが16歳の頃には、
預金残高が数百円に・・・。
さらに、そこからの再ブレイクと、
ジェットコースターのような人生を経て、
内山君がどのような夢を
抱くようになったのか?
金銭感覚の変化も踏まえて、
今回は、話していきたいと思います。
目次
子役として大ブレイク
90年代を代表する人気バラエティ番組
『あっぱれさんま大先生』。
その生徒役として、
おそらくその当時、
日本一有名な
子役タレントとなったのが、
「内山くん」こと
内山信二さんでしょう。
今も変わらないその笑顔、
その体型は愛される
キャラクターとして
希有な存在です。
ですが、小学生ながら、
一気に全国区となった内山くんは、
そのときが紆余曲折の
人生の始まりでもありました。
テレビから姿を消し、
困窮の生活、
そして引きこもり。
そんな内山さんを救った
恩師の言葉や、
周囲の人たちの支え。
以前、私が東京で住んでいた
近くのパチンコ屋さんで、
良く見かけたことがあります。
「この辺に住んでるんだー」って、
大人になった内山くんをみて、
当時は、そのぐらいにしか
思っていませんでした。
大人になっても子供の頃の
雰囲気がそのままだったので、
見て分かったんですけど、
パチンコ屋さんで見かける時点で、
もう、全盛期と違うんだなーって、
いうことは、感じてました。
でも、昔は凄かったんですよねー。
その辺を順を追って
解説していきたいと思います。
一躍全国区になり、お小遣いは1回5万円
何年か前に『しくじり先生』という番組に
出演していた時に話していた内容を踏まえて、
解説します。
芸能事務所に入ったのは5歳のとき。
父親があべ静江さんの
大ファンで、
どうすれば本人に会えるかを
考え抜いた結果、
息子を芸能界に入れることを
思いついたようです。
ただ、最初は兄貴を歌手に
するつもりだったそうです。
でも、当時はネットも
普及していないから、
どこにも情報がなくて、
どうやったら歌手に
なれるか分からない。
それで、とりあえず
内山くんを子役にして、
様子を見ようと考えたそうです。
これからの時代は、
人前で臆せず話せないとダメだ。
そう考えていた父親にとっては、
内山くんの引っ込み思案を
直す目的もあったようです。
最初に受けたオーディションが、
『あっぱれさんま大先生』だったそうです。
おいしいハンバーグを
食べさせてやるからって、
父親に騙されて・・・。
事務所に所属したとはいえ、
演技のレッスンを受けていた
わけでもありません。
単なる素人の子どもだったのに、
なぜか受かって気づいたら
テレビに出ていたそうです。
すぐに人気タレントとなった内山くん。
しかし、最初は芸能界での仕事が、
嫌で仕方なかったそうです。
やはり、子供なんで
遊びたかったんですね。
事務所は学校を
優先してくれるところで、
授業はほとんど
出席していたそうです。
そうなると、
仕事が入るのは学校が
終わってからか、
土曜の午後や日曜日。
遊ぶ時間は、
ほとんどなかったそうです。
運動会も参加したのは
6年間で1回だけで、
当時は、子供だから
参加したかったでしょうけど、
大人になって考えると、
仕事を頂けるありがたさが、
身に染みる感覚で受け取って
いるそうです。
それでも、小学4年生くらいから、
お金がいっぱい貰えることが分かって、
子どもながらに
『これはいい商売かもしれない』って。
それが間違いのもと
だったと語っています。
給与は当初、手渡し。
しかも、本人が事務所で
金額を確認しなければ
ならなかったそうです。
収入はリアルな額で分かってしまい、
10歳になるとCM契約も一気に増え、
ピーク時で最高月収3000万円に
達していたそうです。
そうなると家族全員、金銭感覚が
マヒしてしまったそうです。
実家は下町の魚屋で、
近くに大型スーパーができて、
売上なんて知れていたそうです。
でも、軽トラだった父親の愛車が、
いつの間にかベンツになっていたし、
母親のバッグもヴィトンに・・・。
内山くん自身も、
おもちゃ屋さんに行って、
ここからここまで
ゲームソフトを全部くれっ!
みたいな・・・。
小遣い制で、金額は1回につき5万円。
言えばいつで貰えたそうです。
人気がなくなったのは自業自得
いつまでも続くと思っていた
自身の人気も、
徐々に陰りが見え始めます。
そして、いつの間にか
子役タレント内山くんの姿を
見ることはなくなりました。
『あっぱれさんま大先生』のときは、
トコトコと歩いて『お腹減ったぁ』
と言うだけで、
ドッカーンとウケていました。
早々に、家族の大黒柱だっていう
意識になったそうです。
マネージャーなど、
周囲の大人たちをからかったり、
偉そうにご飯を奢ったりして、
とんでもない勘違いしていたと・・・。
それが、中学生になると、
全然、ウケ無くなったんですね。
中学生になったくらいから、
家にあったものが徐々に、
消えていくのを感じたそうです。
そういえば、最近、
仕事が少ないなあって、
本人も感じていたそうです。
親も薄々分かっていたのです。
でも、これまでの見栄もあるし、
家族の誰も触れなかったそうです。
一度知った贅沢な生活って、
なかなか変えられない。
相変わらず、
家族でハワイに行っていて、
しかもファーストクラス
だったそうです。
行けば行ったで、
高級ホテルに泊まって、
買物もする。
旅行費用は恐ろしい金額に
なっていたと・・・。
16歳になって原付免許を
取得したいと父親に言ったところ、
見せてくれた預金残高は、
わずか数百円。
そして、そのとき初めて、
想像を超える状況に陥って
いたことを知ったそうです。
でも、時すでに遅し。
ほどなく家の電気が止められる
事態になったそうです。
高校も辞めてしまい、
とりあえず働くしかないと思い、
ガソリンスタンドや引越しの
アルバイトをしたそうです。
でも、続かなかったそうです。
内山くんだってすぐバレてしまって、
最近テレビ出てないねって言われたり、
相手も悪気は
ないんでしょうけど事実だし、
そのうち、
被害妄想が出てきたそうです。
「前にいるあの二人は、
僕の悪口を言っているに違いない!」
だから外出もしたくない。
結果、引きこもりになったそうです。
内山くんみたいに落ち目に
なったからだけでなく、
ネットビジネスでも顔出しして、
いい事なんてありません。
順調だったら、それはそれで、
何処に行っても目立つので、
自由に行動できないし、
金払いが悪いと、
「ケチ!」って拡散されたりですね。
個人的にはネットで子供の顔まで
出している親を理解できません。
芸能界で頑張るしかない!
アルバイト時代に知り合いから、
「相撲部屋に入門したらどうだ?」
ウソのような誘いを
受けたこともあったそうです。
紹介された入門先は、
大関・霧島関が親方になった
ばかりの陸奥(みちのく)部屋。
悩んだ内山さんは、
明石家さんまさんに
相談したそうです。
「たぶん通用しないやろけど、
やれるとこまでやってみろ」
そう言われて、
「俺(さんまさん)が
後援会長になったる。
しこ名は、
”あっぱれ山”でいいやろ。」
でも、いきなり飛び込むのは
不安だったらしく、
別の相撲部屋を
見学に行ったそうです。
すると、親方とか後援会の方が、
「相撲取りはいいぞ」って
誘ってきたそうです。
朝に稽古して、
あとは腹いっぱい飯食って寝るだけ。
それで、ものすごく稼げると・・・。
でもそれは成功した
ときの話ですよね。
それで同じくらいの年齢の
新弟子の人と二人きりになったとき、
正直どうなの?って、
聞いてみたそうです。
そうしたら、
「今日、部屋から
逃げようと思ってる。」って、
真顔で言われたそうです。
そのとき相撲は無理だと
感じたそうです。
どんな仕事でもそうですが、
一度楽をしてしまうと、
再び、苦労する道に
飛び込むのは大変です。
まず、生活のレベルが
下がることに
抵抗があるんですよね。
だから、多くの人は、
現状に満足していなくても、
不満が無ければ、
なかなか一歩を踏み出せません。
余程、成功した後の世界が魅力的で、
頭の中で想像して「できる!」
そういうイメージが
わかないと「行動」しません。
例えば、タイムマシーンに乗って、
過去の自分に
「こうすれば成功できる!」
そう言い聞かせたとしても、
イメージできないと
信じることができず、
行動しないんですよ。
二つの人生を比較して、
経験することなんて、
できませんからね。
臆病だったり、
心配性の人の方が、
備える行動を
起こしやすい風に感じます。
仮に成功したとして、
違う人生を歩んでいたら
どうなっていたか?
それは比較できないんですよね。
じゃあ、どうしたら
いいかというと、
先人の経験を素直に
聞くべきなんですよ。
なにせ、学校では
お金の勉強や、
労働以外の働き方を
教えてくれません。
そもそも、
知識が備わっていない
わけですからね。
話が逸れちゃいましたけど、
その後、しばらくして、
今度はさんまさんから
連絡があって、
コントの舞台の誘いが
あったそうです。
相撲部屋も諦め、
引きこもっていた内山さんに
「もう芸能界で頑張るしかないな。」
そう声をかけて頂いたそうです。
「トークを勉強せえ」って言われ、
情報が入ってくるのが嫌で、
違う子役が活躍しているのを
見るのも悔しくて・・・。
全くテレビを見ていない
時期があったそうなのです。
それでもさんまさんに
声を掛けて貰ってからは、
まずはテレビを見て、
トークを勉強したそうです。
ある意味、
もうそれしか道が無いと
決心ができ、
一点集中で行動できたわけです。
でも、心中ただならぬ状況
だったと思います。
追い込まれて行動して、
それで失敗すると、
人生終わった感が
半端ないんで、
理想は追い込まれる前に
敏感に察知して、
行動すること
なんですけどね。
そのために私も
信頼されて、
もっと情報を発信して
いかなきゃなーって、
いつも思っています。
最初は、ほとんどの人が
稼ぐことにしか
興味が無いと思います。
しかし段々と幸福って、
それだけじゃないってことに、
気付くんですよね。
こうやって情報発信
しているだけで、
胡散臭いって
思われがちなんですけど、
みんなが個人で
稼げるようにならないと、
世の中って
良くならないんですよ。
それを何とか伝えたいと・・・、
伝わって欲しいと願ってます。
詳しくは、
以下のブログで解説しているので、
興味がある方は、
ご一読ください。
https://segahiro.net/Libertad/how-to-get-a-free-life/
話が逸れてしまいましたが、
それから、内山さんは、
『踊る!さんま御殿!!』を見ながら、
このトークテーマを
振られたら何て答えるか、
自分なりにシミュレーションを
したりしていたそうです。
さんまさんに誘って頂いた舞台は、
『あっぱれさんま大先生』と同じで、
台本はなく、
設定だけを決めて、
あとはその場で
稽古しながら作っていく。
さんまさんには
よく怒られたそうです。
ここ、おもろいのに
何で言わへんのとか、
お前キャラ
分かってんのかとか。
怖かったけど、
自分(内山くん)のために
怒ってくれていると思うと、
それだけで嬉しかったそうです。
自分の存在を
認められたみたいで・・・。
支えてくれる人への感謝と夢のハリウッド
舞台をきっかけに
仕事も少しずつ入るようになり、
仕事の幅が
広がっていったそうです。
人の浮き沈み、
入れ替わりの激しい芸能界で、
デビューより難しい
復帰を成し遂げた。
その要因は
何だったのでしょうか?
少なくとも内山さんの場合は、
手を差し伸べてくれた人たちの
存在が本当に大きかったわけです。
さんまさんはもちろんですが、
それ以外にも、
例えば、石ちゃん(石塚英彦)は、
内山さんが、
全くテレビに出てないときから、
テレビで話題にしてくれて、
伊集院光さんは監督をされた
Vシネマに誘ってくれたり、
松村邦洋さんは、
地方の放送局に仕事ないですかって
聞いてくれてたんだそうです。
裏方の方たちもそうです。
マネージャーさんや
事務所のスタッフさん。
そういう人たちの
フォローがなければ、
タレント業はできません。
当時、電車の切符も
自分で買えなかった内山さんは、
周囲の人たちの支えがあって
復帰は無理でしたと語っています。
そんな内山さんは、
仕事でも新しいチャレンジに向けて、
動き出しています。
自身の夢、目標でもある
ハリウッド映画への出演。
そのために英会話の
勉強も始めました。
Netflixの仕事で渡米したり、
いつか生まれる自分の子どもたちに、
父親のしてきた仕事を見せたい。
残したいと思っていて、
その一つの形が映画出演だそうです。
国内映画は何本か出ていますが、
ハリウッド映画は
本当に憧れているそうです。
そう語れるのも、
支えてくれた仲間がいたからですね。
感謝しても
しきれないだろうと思います。
一人勝ちなんてできないんですね。
苦しいときこそ前向きに
内山さんは、2019年11月29日、
「いい肉の日」に婚姻届を提出し、
一般女性と結婚されました。
家庭を持ち、
新たな人生のスタートを切りました。
子どもは欲しいし、
きっと子煩悩になるという内山さん、
ちょっと気が早いですが、
どんな父親になろうと
考えているのでしょうか。
「親子というより、
兄弟みたいな関係がいいですね。
いっしょに遊んだり、
ご飯を食べたり。
そして何でも相談してくれる。
パパやお父さんではなく、
親方と呼ばれたい。
きびしい稽古は
一切ない相撲部屋。
それが理想の家庭かな。」
描く理想像には、
自分の父親の影響が
少なからずあるのだとか・・・。
内山さん曰く、
「お金で人生の歯車が狂ってしまった。」
父親でありながら、
だからといって、
内山さんの目には、
決してダメな人間には
映っていなかったんですね。
「典型的な下町の
頑固親父なんですが、
子どもの僕を、
色んな場所に連れ出して
くれたんです。
動物園に行くと言って、
中山競馬場だった
こともありますが、
遊園地や食べ物屋さんなど、
約束をしていたら、
前の晩にすごく飲んでいても、
翌日ちゃんと連れて行ってくれました。
しかも、僕以上に楽しんでいる。
東京ディズニーランドの
『ピーターパン空の旅』という
アトラクションが大好きで、
何回乗ったことか。
だから自分も、
あんな父親になりたい!
そういう気持ちが、
どこかにあるんだと思います。」
お子さんが生まれれば、
もちろんお金も掛かります。
しかし、お金のことで
夢を諦めることはさせたくない。
だから、親として貯金は
しないといけないと、
今は自分に言い聞かせて
いるそうです。
「でも、僕はお金の管理は
できないので、
もっぱら奥さん任せです。
今、自宅には
貯金箱が3つあるんです。
1円とか10円の小銭用、
500円玉用、
そして1000円札用。
定期的に財布から
お金を抜かれて貯金箱へ。
でも、そうやって
貯めようとしてくれている。
僕一人では、
そんな発想自体が出ません。
それと最近は、
奥さんに言われて、
カードのポイント還元も
気にするようになりました。」
最高月収3000万円から
仕事ゼロまで。
まさに転落人生を
経験された内山さん。
それを経て、
今後どのような思いで人生を
歩んでいこうと考えているのでしょうか?
「たぶん、子育て世代は
多少の差はあっても、
経済的に我慢したり、
窮屈に感じることが、
これから増えると思います。
僕も間違いなくそう。
でも、だからこそ、
家庭の中の笑いを大事に
したいですよね。
どんな状況であっても、
そこから笑いを見つけ出す。
それがどんな笑いなのか、
今から楽しみです。」
そう語っていました。
とても素晴らしい
考え方だと思いました。
しかし正直、私は若干、
違和感を感じました。
人生経験からなのでしょうが、
締めくくりの言葉が、
ややマイナス思考に思ったからです。
「経済的に我慢したり、
窮屈に感じることが・・・」
そうならないように、
学校では教えてくれない
お金の勉強をやるべきですよね。
現在では、
銀行にお金を預けたって、
利子がほとんどつきません。
それが働くことで
苦労したからなのか?
お金を貯めることで
締めくくっているのが、
残念な感じです。
だからこそ、お金の知識は
最低限、身につけて、
大事なお金を最大限、
有効利用できるようになるべきです。
そう思いませんか?
同じ稼ぎだったとしても、
お金の勉強をしているのと、
していないのとでは、
使える金額が
全然変わってきますからね。
リアル実業の大変さ
今回の内山さんの話で、
やっぱりリアル実業は
大変だなーって感じました。
確かに、芸能界という
特殊な働き方ですが、
ビジネスの本質は、
みんないっしょで、
お客さんが集まらなければ、
収益に繋がらないわけです。
あとは稼いだ
お金の使い方ですね。
資産運用だけじゃなくて、
次に繋げるためにどう使うのか?
出費をどう抑えるのか?
良く言われる
投資・消費・浪費について、
正しく理解して、
正しく行動しているかで、
差が出てくるわけです。
確かに、何のお金の知識もなく、
いきなり大金を稼いでしまうと、
それがずっと
続くものだと錯覚したり、
浪費で味わった優越感が
忘れられずに、
どんどんお金を
使ったりしちゃうんですね。
内山さんの両親も、
正にそうだったんだと思います。
お金の勉強をしていなくて、
入ってくる分を使っちゃって、
生活のレベルが上がり、
あっという間に資金が
枯渇していったんだと・・・。
今回調べた内山さんの情報で、
その後のご両親のことに
触れられていないのが、
気になりました。
みなさんも、
お金の勉強をしましょうね。
動画紹介
今回の内容について、
参考になる動画を紹介します。
ぜひ、視聴してみてください。
下記のブログも参考になります。