【書評】「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」から学ぶ③悟りの境地

こんにちは! せがひろです。

今回は、「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」

から学ぶの3回目(最終回)となります。

前回のブログ記事は、

以下から読めます。

「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」から学ぶの2回目となります。 なぜ、苦しいのか? どうすれば、苦しみが消えるのか? そして、瞑想とは本当は何なのか? いよいよ、ヴィパッサナー瞑想についての解説に入りたいと思います。 ヴィパッサナーは、ブッダがしていた体と心の現状を探索する、極めて実践的な瞑想方法です。

ヴィパッサナー瞑想は、

ブッダが行っていた、

体と心の現実を探索する

極めて実践的な瞑想法です。

この瞑想をすると、

ありとあらゆる問題を

全て解決することができ、

全ての苦しみから

解放されることができます。

さらに自分の幸福のみならず、

全人類の幸福にも貢献できる

ようになります。

前回は、精神集中の能力アップする、

呼吸瞑想について解説しました。

今回は、ヴィパッサナー瞑想

(体の感覚に気づく瞑想法)

について説明します。

このブログで話す内容としては、

・瞑想で人生が変わる

・苦しみや痛みが消える

・ハッピーになる

になります。

それについて、

5つのパートに分けて

説明したいと思います。

私も実際に瞑想をやっていて、

心の迷いが少なくなったので、

体験談を踏まえて

話したいと思います。

呼吸瞑想はヴィパッサナーに使うため

呼吸に集中する瞑想など、

一つのことに注意を向けると、

心が落ち着き安らぐように感じます。

しかし、このように得られた

心の平静さは、

本物ではありません。

確かに「呼吸に気づく瞑想法」などの

精神集中の修業は、

とても役に立つが、

表面意識にしか作用しません。

呼吸瞑想だけじゃ

足りないわけです。

しかし、

それを根元から

消すことはできません。

かえって渇望や嫌悪を

無意識のレベルに

押し込んでしまいます。

とりあえず沈黙させることは

できるのですが、

根本的な解決ではありません。

無意識の領域に、

心の癖や心の条件付けがある限り、

苦しみはなくなりません。

そこで心の癖を全て取り除けばいいと、

ブッダは考えました。

そうすれば、

欲望の対象を追いかけたり、

欲望を抑圧したりして、

心を緊張させることがなくなり、

穏やかな暮らしができるようになります。

問題を根っこから取り除くためには、

不純物をその発生時点で

処理する方法が必要だということです。

そしてブッダは、

その方法を発見し悟りを開きました。

それが知恵の訓練

(パンニャーの訓練)なのです。

これがヴィパッサナー瞑想で、

「自己の本質を見抜く力」を

つけることを目指します。

苦の原因を知って苦を無くす。

これがブッダの

発見した瞑想法です。

この知恵の訓練こそが、

ブッダの教え独自のもので、

一番重要な部分になります。

呼吸瞑想で鍛えられた

精神集中を利用することで、

ヴィパッサナー瞑想が

ちゃんと効果を発揮します。

呼吸瞑想も、

それ自体価値があるが、

その修業をする真の目的は、

それをヴィパッサナーに

利用することにあります。

本当はヴィパッサナーのために

呼吸瞑想はあります。

まず呼吸瞑想による

精神集中の修業をし、

心を落ち着かせます。

次に、その心を道具として、

自分自身を見つめていきます。

さらに知恵を育む修業を行い、

初めて自分の内なる現実を見極め、

無知と執着から自由になります。

ヴィパッサナーのやり方

ヴィパッサナー瞑想とは、

洞察力の育成ということです。

ヴィパッサナーは、

一瞬の洞察、

瞬間的な真理の閃き、

などと説明されています。

パッサナーという言葉は

「見る」という意味です。

なので、

ヴィパッサナーというのは、

特別なものの見方を意味します。

つまり自分の内なる現実を

見つめるということです。

そのためには、

自分の体の感覚に注意を向け、

その感覚を順に追って、

客観的に観察していくことが必要です。

この自己観察によって、

心と体の真の姿を見極めるわけです。

では、なぜ感覚を

観察する必要があるのかですが、

それは私たちは感覚によって、

現実を直接体験しているからです。

いわば、

感覚=現実ということです。

五感と心は、

私たちが外界と出会う窓口であり、

それが全ての体験の土台となります。

五感と心が何かに接触した時、

感覚が生まれます。

心地よい接触があれば、

心地よい感覚が生まれ、

心地悪い接触があれば、

心地悪い感覚が生まれます。

体験的な知恵を得るためには、

自分が実際に体験しているものに

気づかなければなりません。

つまり感覚にはっきりと

気付かなければならないということです。

また、体の感覚は

心と強く結びついており、

呼吸と同様、

現在の心の状態を

そのまま反映します。

思考・意見・感情・記憶・願望・不安、

といった対象物が心に接触すると、

感覚が生まれます。

思考や感情など、

心の中で生まれた全ての物が、

同時に体の感覚に引き起こします。

体の感覚を観察することによって、

心の観察がでいることになるのです。

この世界で出会うものは全て、

私たちの体の中に感覚を

引き起こすわけです。

世界を知り、自己の本質を知り、

それに正しく対処するためには、

普段はほとんど感じ取れないような、

微細な感覚にまで気づく必要があります。

本当は感覚というのは、

一瞬一瞬体に生じているのです。

体の中で起こる生化学反応は全て、

何かしらの感覚を引き起こしています。

日常生活では意識の焦点が

ぼんやりしていて、

全部の感覚に

気づくことはできません。

強い感覚しか

気づかないというわけです。

しかし、呼吸に気づく訓練をして、

心を研ぎ澄ませば、

自分の中の全ての感覚を、

意識できるようになるわけです。

ヴィパッサナーは、

ありのままの自然な感覚を

観察するということです。

呼吸瞑想では、

自然な呼吸を観察し、

呼吸をコントロール

してはいけません。

ヴィパッサナーも

それと同じで、

自然な体の感覚を

観察するということです。

頭から足先まで、

足先から頭まで、

左の手足から右の手足へと、

順序良く体に意識を

巡らせていきます。

決まった順序できちんと体に

意識を巡らせていきます。

ただし、

意識をある部分から別の部分に、

適当に移動させてはいけません。

そうすると、

強い感覚に引っ張られてしまい、

どうしても微かな感覚を

見過ごしてしまうからです。

特別な感覚を追いかけたり、

避けたりしてはいけません。

ただひたすら、

体の感覚を冷静に観察し、

どのような感覚が現れようと、

それに意識を置くようにします。

感覚は千差万別で、

暖かい・冷たい、

重い・軽い、

かゆい・圧迫・痛み・痺れ、

など色々あります。

この瞑想は何か変わった感覚を

探し求めるものではありません。

普通の体の感覚を

淡々と観察していくことです。

いちいち感覚の原因を

探る必要はないのです。

環境が原因かもしれないし、

座っている姿勢、持病、

食べ物が原因かもしれません。

だが感覚の原因は

重要ではありません。

原因など考えてもきりがないし、

それが重要なのではなく、

重要なのは、

「今意識の焦点を合わせたところにある感覚に気づく」

それだけです。

はじめは感覚を感じる部分と、

感じない部分があります。

はじめは、

気づきの力が足りないので、

強い感覚しか感じません。

それでも、

際立った感覚だけに

注意を奪われないようにして、

一定の順序で気づきの

焦点を移動させて、

何度も何度も全身に

意識を巡らせていきます。

呼吸瞑想によって、

精神集中の訓練をしていれば、

対象に注意を固定する力は、

かなり付いているはずです。

その集中力を使って、

意識を体の隅々まで

順序良く巡らせていきます。

感覚の鈍いところを飛ばして、

感覚の強いところだけに

意識を巡らせたり、

ある感覚のところに

長時間止まったり、

ある感覚を避けようとしては

いけないのです。

しっかり瞑想を続けると、

やがて全身の感覚をくまなく

感じることができるようになります。

呼吸に意識を置く瞑想をするとき、

初めは呼吸が荒く不規則ですが、

そのうち呼吸が落ち着き、

少しずつ微かな呼吸に

なっていくわけです。

ヴィパッサナー瞑想も、

これによく似ています。

初めは強い不快な感覚を感じ、

それがいつまでも続くように

思えてしまいます。

それとともに、

強い感情や

長い間忘れていた

考えや記憶が蘇り、

心や体に不快感を感じます。

痛みが起こることも

あるということです。

呼吸の瞑想の時に

障害となった、

渇望や嫌悪、眠気、

イライラ、疑惑などが、

再び登場するわけです。

それに負けて感覚に

気づいていられなくなったら、

もう一度、呼吸の瞑想に戻り、

心を静め意識を集中させる

ことが大事になります。

不快な感覚が出てくる理由は、

体の感覚を観察することによって、

心の奥に埋もれていた

条件付けが刺激され、

表面意識に浮かび

上がってくるからです。

一生懸命に瞑想を

続けていれば、

強い思いや感情が

いつの間にか遠ざかり、

また体の感覚に

気づくことができます。

根気よく修業を続けると、

やがて強い感覚が溶けて、

均一な微かな感覚へと

変化していきます。

そして最終的には

猛烈なスピードで

生まれては消える。

波動だけを

感じるようになります。

ただ感覚を客観的に

観察するのがコツです。

心地悪い感覚が、

どれほどしんどくても、

心地よい感覚が

どれほど気持ちよくても、

ただただ観察するだけです。

それらに気を取られたり、

心を奪われてはいけません。

科学者が実験室で

観察するように、

ひたすら自分自身を

見つめるだけです。

そして、このような

観察を続けていると、

ある事実を体で

理解することができます。

無常を体で理解する

根気よく瞑想を続けると、

感覚が絶えず変化する

ことに気づきます。

一瞬一瞬、体中に

何らかの感覚が生じ、

変化していきます。

私も瞑想し始めの頃は、

いわゆる雑念が多くて、

嫌なことばかりが

思い浮かびました。

それの根底は、

日々触れる情報や、

小さい頃から

(悪くいって)洗脳に近い、

あるべき姿です。

勉強して、

いい学校に行って、

いい会社に就職して・・・

就職したらしたで、

失敗しないこと、

毎日同じ時間に

起きて通勤すること、

ストレスが溜まっていても

家庭に持ち込まない、

上司には従う、

部下の面倒は見るなどなど・・・、

いつの間にか

社会の常識に洗脳されて、

人間が生きていくための

常識がうやむやにされて

いたのだと思います。

それが瞑想をすることによって、

・社会の常識なんて誰が決めたんだ?

・好きなように生きればいいんじゃないか?

そんな風に感じられ、

今までの悩みやストレスが

ちっぽけなものに思えてきました。

そんな風に全ての感覚が、

全身の変化の証拠で、

電磁気的、生化学的な反応など、

体中で一瞬一瞬が起こっている

だけなんですね。

さらに、それ以上のスピードで

心のプロセスが変化し、

それが体の変化となって

現れるだけなんです。

これが心と物の

究極の現実なのです。

それは単に精神と物質が絶えず、

変化しているだけなのです。

これが無常というものなんですね。

無常とは、

全ての物が

「一定のままではない。」

ということです。

一瞬一瞬、体を構成している

微粒子が生まれては消える。

瞬時に心のプロセスが

働いては消える。

外の世界と同様、内なる世界も、

全て瞬間瞬間に変化するわけです。

このような世界の真実を、

ヴィパッサナー瞑想をすることで、

自分の体を通してありのまま

体験することができるわけです。

つまりヴィパッサナー瞑想によって、

体験的に世界は「無常」というのが

分かるのです。

無常が体で理解できる

一瞬一瞬、移り変わる感覚を

まざまざと体験し、

自分の存在の儚さを理解します。

体を作る微粒子の全て、

心を作るプロセスの全てが、

休みなく連続的に変化しています。

「私」とか「私のもの」と呼べる、

不変のものなど実在しないのです。

「私」の正体は、絶えず変化する、

プロセスの集合体に過ぎないのです。

そこで「無我」という

事実が明らかになります。

「私」というのもや、

「永遠の自己」など、

そのようなものは

決して存在していません。

「私」というのもや、

「永遠の自己」など、

そのようなものは決して

存在しないわけです。

私たちがひどく入れ込んでいる

自我は幻想であり、

本当は心と体のプロセスの

集合体に過ぎないのです。

それは絶えず流動しているのです。

心と体どちらも、

不変の核のようなものが

全くないのです。

変化のプロセスに加わらないもの、

無常の法則に従わないもの、

そういうものは1つも存在しないのです。

ただ現象は淡々と起こり、

絶えず変化していきます。

これらから執着すると

苦しむことが分かります。

「これが私である」

「これが私のものである」

などと言って、

何かにしがみつくと

必ず不幸になります。

無常のもの、

幻のようなもの、

自分の力では

どうにもならないもの、

そんなものに執着したら

苦しみしか生まれません。

ヴィパッサナー瞑想によって、

このことが体験的に

理解できるようになります。

自分の体の感覚を観察し、

自分の体でその事実を体験し、

理屈抜きに理解できるのです。

では、無常を理解した後、

実際にどうすれば苦が消えるのか?

ただ観察し反応しない

どうしたら不幸にならずにすむのか?

どうしたら苦のない人生を送れるのか?

それには、

ただ観察し反応しなければ大丈夫です。

これが全ての苦しみを無くす答えなんです。

一つの状況を維持しようとか、

避けようとせず、

これは良くてあれは駄目、

などとも言ってはいけません。

常に心の平静さ、

心のバランスを保ち、

全ての現象を

ただ淡々と見つめていくのです。

しかし、反応せずに、

ただ観察するのは

とても難しいです。

例えば瞑想中に

膝が痛みだすとします。

痛いのは辛い、

何とか痛みは取れないだろうかと

考え始めてしまうためです。

しかし痛みは取れません。

痛いと思えば思うほど、

ますます痛みがひどくなるのです。

そのようにせずに、

一瞬でもいいから体の痛みを

ただ観察できたら、

苦しみは消えていくのです。

それが自分の痛みであるとか、

自分が痛みを感じているとか、

そういう幻想から脱出し、

医者が患者の脈を

診るようにして、

客観的に痛みを

見つめることができたら、

痛みは消えていきます。

どんな痛みも

永久に続くことはありません。

一瞬一瞬、変化し、消え去り、

また生まれ、また変化していくわけです。

痛みでさえ無常であることを、

体験的に理解したら、

もう痛みに振り回される

ことはなくなります。

痛みはすぐに消えるかもしれないし、

すぐには消えないかもしれません。

そんなことも気にせず、

ただ観察をしていくのです。

自分の痛みを他人事のように

観察できるようになると、

もはや痛みに苦しめられる

ことは無くなります。

このように、

反応しなくなることで、

苦しみの原因(根っこ)

から消し去るのが、

「解脱」への道だと

いうことです。

反応しない。これが解脱(げだつ)

気付きと心の平静さを

得ることで、

私たちは苦から

自由になることができます。

苦は無知から始まります。

自己の真実に対する

無知から始まるのです。

無知でいると、

私たちの心は、

全ての感覚にやみくもに

反応してしまいます。

好き嫌いの反応を

してしまうのです。

このような反応を

することによって、

今現在も苦しみ、

因果の連鎖によって、

将来もまた苦しむ・・・。

よって因果の連鎖を

断ち切る必要があります。

因果の連鎖を

断ち切るポイントは、

感覚が生じるところです。

そこで「気づき」を入れる。

ということです。

全ての感覚に

好き嫌いが生じます。

感覚が生じた瞬間、

無意識に好き嫌いの反応が起こり、

それが繰り返されて強くなり、

渇望や嫌悪になります。

さらにそれが執着となり、

不幸を招くことになります。

この反応が無意識の癖となり、

機械的に繰り返される

ことになります。

ところが、

ヴィパッサナー瞑想を行うと、

体の感覚全てに気づくことが

できるようになります。

つまり無意識の反応癖に

気づけるようになる。

心の平静さが深まり、

むやみに反応しなくなる。

淡々と感覚を見つめて、

好き嫌いもなくなる。

もう新たに反応する

ことがなくなる。

代わりに、

全ての関学が知恵をもたらす

「感覚は無常であり、

絶えず変化する」という、

知恵が手に入ります。

つまり真の洞察力が

身につくわけです。

まさにこの感覚が

生じるタイミングで、

因果の連鎖を断ち切り、

苦の生成を止めるのです。

もう無意識に

反応するのを止めて、

もう良し悪しの判断を

しないようにします。

それにより苦の原因が

なくなります。

苦の原因は心の行為で、

盲目的な好き嫌いの反応で、

全ての苦しみが生じていたわけです。

心が感覚に気づき、

それでも平静さを保っている時、

反応は止まるということです。

反応が止まれば、

苦の原因がなくなります。

私たちは自力で全ての苦しみを

無くすことができるのです。

全ての感覚や物や心は、

無常だということです。

この心理を悟ると苦しみがなくなる

私たちが人生で出会うものは、

突き詰めていくと、

全てが自分の心の

行為の結果です。

渇望や嫌悪の癖がなくなれば、

苦の原因がなくなります。

これが悟りを開き、

解脱へと進む道なのです。

ヴィパッサナー瞑想の

最大の目標は、

何事にも「反応しないこと」

ということです。

ある感覚が生じると、

無意識に好き嫌いが起こります。

これはほんの一瞬の出来事だが、

それに気づかなければ、

反応が繰り返されて

何倍にも強くなり、

渇望や嫌悪に変わります。

それはやがて強烈な感情

になって現れます。

そうなるといつのまにか、

悪い言葉を使ったり、

悪い行為に走ったりして、

自分も人も傷つけるようになります。

ほんの一瞬の盲目的な

反応によって、

私たちは今の自分を苦しめ、

将来の自分をも苦しめる

ことになるわけです。

同様に、

ほんの一瞬の盲目的な反応によって、

他人も苦しめることになります。

なので、

体のほんのわずかな感覚も

見逃してはならないわけです。

反応というプロセスが起こる瞬間、

つまり感覚に気づいたなら、

反応しないでいることができます。

好き嫌いの反応をしないで、

ただ淡々と感覚を観察する

ことができます。

感覚はただ起こり、

ただ消え去ります。

心はバランスを保ち

穏やかになります。

反応を止めたら、

私たちは今幸せを味わい、

将来もまた、

幸せを味わうことができます。

体の感覚に気づき、

同時に心の平静さを

保つことができれば、

その瞬間、

初めて心は自由になります。

ただ、最初の頃は、

そういう瞬間は、

ほんの一瞬しか訪れません。

長年の癖はなかなか

取れないからです。

しかし何度も何度も

瞑想していると、

そういう瞬間が

どんどん長くなっていきます。

やがて古い反応癖が取れ、

心がずっと穏やかな状態になります。

こうして苦しみがなくなり、

あなたは自分の力で、

全ての苦しきを無くすことが

できるわけです。

まとめ

「反応しない」とは、

消極的になったり、

リアクションが小さく、

テンションが低い人になる、

ということではありません。

ただ行動する時にも、

心のバランスを

失わないということです。

よって、

うれしいことがあった時に

「やったー!」と

飛び上がっても大丈夫です。

飛び上がりながらも、

心は穏やかな状態に

保つのがコツです。

つまり、

「反応せずに、ただ行動する。」

ということです。

反応という、

緊張を伴った喜びというものは、

本物ではありません。

反応を止め、

緊張から解放される時、

本当の意味で人生を

楽しむことができるようになります。

嬉しいことがあっても、

嫌なことがあっても、

反応するのではなく、

ハッピーな気分で

「ただ行動する」。

これがコツです。

そして心のバランスを保った、

ハッピーな状態でする決断は、

必ずいい決断になります。

今回紹介した

「瞑想」というももは、

有名人も多く

取り入れています。

ジョブズやイチローも

取り入れたいるそうです。

日本的に言えば、

「座禅」になると思います。

それで私もヴィパッサナー瞑想を、

毎日のように行っていますが、

一つ注意点として、

瞑想後に、

寝起きのような

ボーっとした状態になります。

出勤や通学前にやると、

電車で乗り過ごしたり、

車の運転なんて

もってのほかです。

なので、

寝る前にやることを

お勧めします。

別に座禅のように

足を組む必要もなく、

できれば、

椅子に座ってリラックスした

状態が良いのですが、

布団に入ったままでも

効果があります。

寝る前に本を読んだり、

スマホをいじるぐらいなら、

瞑想しながら

寝落ちする方が良いでしょう。

現代社会では情報過多になり、

テレビもネットも不幸な情報が

大半なので、

そういった情報を

リセットするためにも、

瞑想することをお勧めします。

体の健康もそうですが、

心も健康にならないと

幸せな人生は送れません。

是非、取り入れてみてください。

もし興味を持たれた方は、

本を読んでみてください。

あるいは、

YouTubeの書評動画を

探してみてください。

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https://youtu.be/pRZa7YGBzq4


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