こんにちは! せがひろです。
世の中には、
強運な人と不運な人、
運の良い人と悪い人が
いるように見えます。
「運も実力のうち」
なんてことを言いますが、
運なんて本当に
存在するのでしょうか。
我々は全て、
確率論に支配された、
偶然に一喜一憂して
いるだけなのでは?
そう思う時もあります。
しかし実際に運は存在し、
人生の大部分を支配して
いるのです。
良いことは連鎖する
私は最近、運が向いて
きているのを感じます。
商談はうまくいきますし、
ブログのアクセスも増え、
YouTubeもアクセスが増え、
メルマガ読者さんにも
共感が得られ、
健康で家庭内も円満、
続々と魅力的な人と
出会えています。
そういう時は
頭の切れも良く、
面白いアイデアも
次々と思い付くものです。
いわゆる、
「運がいい」
という状態です。
幸運は幸運を呼び、
悪いときは悪いことを呼びます。
幸運が続く状態のことを
「運を味方にしている」
「流れが良い」
なんて言ったりもします。
それって気分の問題だけで、
単にポジティブな気分の時には、
良い結果が出やすい、
もしくは良い結果だと感じやすく
なるだけなのでは、
という気もしますよね。
・成功すれば実力
・失敗すれば運
人間の心というものは、
弱いものなのです。
運なんてものも、
その弱さ故に生み出した
幻影なのかもしれません。
そういうようにも思えます。
そもそも「運」の正体とは
確率論で言う“偏り”なのか。
あるいは能力なのか。
「運」とは“偏り”か、
神の“えこひいき”か。
または“報酬”なのか。
当選者が分母と同じ数クジを
買ったわけではないのだから。
もしルチアーノショーの
スタッフが当たった
toto1等(1/160万)を、
人生の一直線上の「道」に
例えた場合、
偶然(?)に
その“瞬間”を踏むタイミングで
購入しなければなりません。
それを“能力”だと考えたら、
(「運も才能のうち」という考え方に似ている)、
見事に当たる人がいるなら、
わざわざはずれる人が
いるんじゃないか。
そこで、
今回のモンティ・ホールの問題を
ルチアーノショーの2人の女性に
トランプで試してもらった。
(ジョーカー2枚とエース1枚)
1人の女性は過去に
この理論を学んでいたため、
「変更した方が2倍当たる」と即答。
この女性は4回連続で変更したが、
実は全て最初に選んだカードが当たりで、
「わざわざ」当たりを避けてしまった。
もう1人の女性は直感的に
「変更しない」と即答。
この女性は4回連続で
変更しなかったが、
全てハズレだった。
確率論を信じた方はハズレ、
自分の直感を信じた方もはずれた。
確率論で言えば、
ただの「偏り」で
片付けられるケースです。
がしかし、世の中、
こういうケースの方が多くないか。
そして、こういった
事象が続くことで、
本当に当たりはあるのか?
と問う人も出てくる。
たったの4回で
何がわかる?
ごもっとも。
しかし確率論は、
無限回数繰り返すことで
収束すると定義されているから、
無限回数繰り返さない
人間社会は、
常に偏りの中に
存在していると言える。
※理論と現実は切り分けないと、
実生活で役に立たない、
ただの学問と化してしまうので、
今回は現実的な回数を・・・。
でも。
もしかして、これでもちゃんと
収束しているんじゃないか。
収束していることに気付かず、
偏っていると思い込んでいる
だけではないか。
モンティ・ホール問題のように、
皆がよってたかって
「正しいこと」を批判・反論する
ケースもあるのだから。と考えてみた。
もしかすると他人が
「はずれた」分だけ、
どこかに当たりが集中している
(ちゃんと収束させている)可能性もある。
まるで掃除機のような
バキューマーがいるんじゃないか?
これはクジや個人単位による
収束ではなく、
人口を分母とした収束の考え方だ。
(人口全体または何らかのグループ)
強引だろうか。
地球上でずっとルーレットが
回っているイメージだ。
もし分母を人生の道における
「歩数」だと考えたらどうだろうか。
toto1等で例えると、
160万歩中の1歩が当たりを
踏むイメージだ。
では、その瞬間が早く訪れる人と、
後から訪れる人についてどう説明するか。
人によって
「時間の進むスピードは異なる」
としてしまうと、
既存の色んなものに
不整合が生じてしまうので、
同じ1秒の“分解脳”(密度・解像度)が
異なると考えてみた。
1秒単位の人と0.1秒単位の人は、
1秒後には10歩(と例える)も差がある。
自転車に例えるならば、小さいギアで必死でこいで走り続けるのと、大きなギアでゆったり走る違いといったところか。
良い悪いの区別はなく、命がけのレーシングが好きな人もいれば、ひなたぼっこしながら読書が好きな人もいる。
こうして細分化(分解)された人は、
同じ時間内に多くの歩数を歩むため、
他人よりも早く160万歩目が
来るという考え方だ。
そう考えれば、
決して偏っているわけではなく、
全てを網羅した中での的中(確率論通り)と
見なすことができ、
現実社会において確率論を
否定する必要はなくなり両立する。
言い換えるともの凄い勢いで
ハズレを繰り返していることでもある。
反対に小刻みに
分解しなければ、
160万歩目に到達するのに
時間が掛かるだけで、
実質的に「はずれ」ている回数も
少ないということになり、
大当たりは起きない
かもしれないし、
或いは穏やかに“その日”を
迎えるかもしれない。
米宝くじで590億円の高額当選、
84歳女性名乗り出る
「行列に並んでいると、
親切な人が行列の順番を譲ってくれ、
私に先に買わせてくれた」という。
アセンション=bitの上昇
(すわなち分解脳の上昇)の
シナリオを描き、
なおかつ「最小時間」
(プランク時間)について触れた。
私は確率を信じている。
しかし「念」というものも
信じているし、「運」も信じている。
そして「引き寄せの法則」と
言われるものも信じている。
そもそも当選が続出した
ルチアーノショーの謎を解きたく
確率論から運にまで至ったのだが、
ようやく全体がつながってきた気がする。
ランダム(気まぐれ)の
ある一点を読み取れる
(または「引き寄せられる」)
何かがあるのでは
ないかと思う。
それが「運」かもしれないのならば、
「運」の正体を知りたいというのが
この研究のテーマだ。
動画紹介
今回の内容について、
参考になる動画を紹介します。
ぜひ、視聴してみてください。
以下のブログも参考になります。