社会人になってから人生の夏休みを手に入れた話

こんにちは! せがひろです。

私が起業した目的は単純で、

「労働による時間と場所の拘束から解放されたい!」

それだけでした。

会社員として働いていた時代、

月曜から金曜まで9:00-17:00勤務、

しょっちゅうサービス残業で、

家があるのに長期出張の連続など、

自宅で暮らせるのは年に数日でした。

そうした時間と場所の

拘束から解放されるために

50歳を過ぎたところで

ネットを使って起業しました。

(年老いた親の面倒をみるという

家庭の事情もあります。

これは親が健在な方でしたら

避けて通れない問題だと思います。

施設に預けるという

選択肢もありますが、

親が金持ちならいいですが

自分の老後資金も大変ですからね。)

ネットを使うことにより、

パソコン一台で好きな場所で、

自分の好きな時間に

1日数時間の労働で、

誰からも束縛される事なく、

まるで毎日が

夏休みのようになりました。

あっ!夏休みなので、

1日数時間の作業は、

「夏休みの宿題」のようなものです(笑)。

私がどうやって

今の生活を手に入れたのか?

同じような境遇で悩まれている方の

参考になればと思い、お伝えします。

会社に雇われて働く派遣社員、

サラリーマン、バイト、パート人生に

疑問を持っている人は、

何かしら気づきがあると思います。

ぜひ、参考にして欲しいです。

雇われ人生に疑問を抱きながら労働漬けの日々

私は、サラリーマン生活を

していた頃、

雇われて働く生活に

疑問を抱いていました。

一番大きな理由としては、

「自分の時間が会社に支配されている」

ということです。

「子供みたいなこと言ってらぁー」と、

思われる人もいるかもしれませんが、

毎日決められた時間拘束されて、

どれだけの成果を達成したとしても、

ほとんど給料は上がりません。

年齢とともに知識と経験は

蓄積しますが、

今は大抵のことが

ネットで調べられるので、

後輩たちを指導するのが

難しくなっています。

かと言って、

年齢を重ねるごとに記憶力、

体力も低下してワーカーはきつくなり、

後輩を指導できなければ、

年配者の存在感はなくなっていきます。

それに対して、

会社や国が何かしてくれるか?

というと、何も期待できません。

せいぜい、年金が貰えるまで

我慢して何としても、

ただただ生き永らえる

しかありません。

ですが、

年金受給開始も年々先延ばしされ、

メディア報道によると、

年金だけでは生活できず、

80歳になっても働き続けなければ

ならない人が増えているそうです。

それを政府は、

「高齢者の経験を活かすため」とか、

「60歳を過ぎても働きたい人は沢山いる」だとか、

喧伝しています。

みなさんは、

60歳を過ぎても働きたいですか?

高齢になると、できる仕事も限られ、

歳とともに体の不調も多くなり、

まるで納税という罰則を

与えられた奴隷のようです。

DIAMOND online ひろゆき参考記事|日本のみなさん、あなたは「奴隷」ですか?

本来でしたら充分な年金があれば、

今まで行けなかった国内旅行や、

美味しいものを食べて余生を

悠々自適に暮したいはずなんです。

「なぜ働くのか?」というと、

「夢を叶えるため」といった、

意識高い系の人も

いるかもしれません。

しかし、多くの人は、

生きていくためのお金が必要で、

それを得るために

大事な時間を犠牲にして、

イヤイヤでも労働せざるを

得ない状況だと思います。

サラリーマン人生で

幸せな老後なんて夢を

期待しない方が

いいと思います。

良く働く目的として、

「お金持ちになりたい!」

そう言う人がいますが、

それは間違いですよね。

本当にお金持ちになることが

目的なのであれば、

使わなければ貯まります。

自由に使えるお金が欲しい

というのが、まぁまぁ正しくて、

自由に使うと減るわけなので、

安定して大金を稼ぎたいってことでしょう。

安定的に大金を稼ぐためには、

その稼ぎ方を知り、

実践する必要があります。

それが本来の目的になるはずです。

更に月給、時給いくらといった、

非正規雇用、会社員、公務員という

働き方を続けるのではなく、

資産家のように稼ぐ方法を構築して、

毎月勝手にお金が増えていく、

いわゆる不労所得を

持った生活というのが、

お金持ちになりたい!

と考えている人の

本当の夢なんだと

いうことです。

やりたい事を

お金の心配をしないで、

やりたい時に

時間に縛られないで、

自由にやりたい!

じゃあ、それが先ほど挙げた

月給、時給いくらといった働き方で、

叶えられるのでしょうか?

会社経営者なら

可能かもしれません。

しかし、時間労働をしていては、

一生掛かっても無理です。

(会社経営者の定年退職は、

基本的にありません。

自己申告です。

一方、一般社員は定年退職と

共に収入がゼロになります。)

だから、夢を諦めている人が

多いのだと思わざるを得ません。

現実を直視し、

自分の能力の限界を決めつけて、

いつの間にか目的が、

「食べるのに困らなければ」

という風に変わっていませんか?

スーパーの

タイムセールで買い物し、

立ち飲み屋さんなら

まだマシで、

コンビニ前、公園で飲む

サラリーマンも見かけます。

また、住むところは

確保したいと考え、

賃貸物件であれば

家賃を払い続け、

一軒家や分譲マンションでは、

修繕費や固定資産税を

払い続けることになります。

分かっているとは

思いますが、

定年退職後も、

ずっと払い続ける

必要があります。

贅沢は言わない!

まるで戦時中の

「欲しがりません。勝つまでは!」

それを地でやっている感じです。

それで次に考えるのが、

少しでもいい会社に入れば、

高い給料を安定的に一生貰える。

ということです。

そんな経験から親は子供へ

いい学校に行きなさい!

いい会社に勤めなさい!

といった考え方に

凝り固まってしまいます。

次々にラットレースの戦士が

生まれ続けてしまいます。

終身雇用、年功序列人生の崩壊

私は普通科の高校を卒業して、

やりたい仕事なんて、

特になく知識も乏しい、

無知な人間でした。

親父もサラリーマンではなく、

日雇いの労働で収入が

安定していなかったので、

いつも苦労している母親をみて、

とにかく、毎月安定して給料が

貰える仕事につこうと思いました。

その頃、頭が良くなかった

のもありますが、

仕事なんて、生きていくために

稼ぐ手段であって、

何でも良いと考えていました。

それよりも当時は趣味だった

格闘技がやりたくて、

何が何でも上京したかった

だけでした(笑)。

適当に選んだスーパーの店員の

仕事をしながら、

ジムに通う生活をしていました。

実際に仕事を始めてみると、

朝6時から夜10時ぐらいまで

肉体労働し、

当時は、まだ週休二日が

一般的ではなかったので、

週1の休みにジムへ通い、

体力的にヘトヘトでした。

格闘技のジムでしたので、

ケガもしますし、月謝も掛かります。

上京したばかりの頃は、

寮生活をしていましたが、

いずれ出ないといけないので、

アパートを探したりもしました。

しかし、スーパーの給料じゃあ、

とても借りれそうにありませんでした。

格闘技のジムに通いたくて上京したのに

ジムは週1日で1時間程度・・・、

あとは、生きていくために

労働づくめ・・・、

かつ、単純労働でしたので、

3ヶ月もすれば一通り、

やることを覚えてしまい飽きてました。

まだ若かったので、

本当は極めればスーパーの仕事の

楽しいところも見つけられたのかも

しれませんけどね。

ただ当時は、

この生活に夢も希望も

持てませんでした。

同級生は、大学に通っているか、

地方公務員になって残業なし、

週休二日で自由な時間を充分に

持てる働き方をしていました。

とにかく肉体労働で

朝から晩まで働いていて、

ジムで練習する時間も

段々と取れなくなっていました。

じゃあ、夢を諦めて仕事に

専念しようかと思っても、

単純労働すぎて、

長い時間働く以外に、

当時はどう頑張ったら

給料が上がるのか?

将来を見通せませんでした。

当然、こんな生活をしていたら、

異性と出会う機会だってありません。

そんな状況で半年過ぎた頃、

労働漬けから解放されたいと思い、

専門学校に行くことを決めました。

働きながら専門学校の募集を探し、

セミナーに行ったり、

試験科目の論文作成を会社に内緒で

粛々と行っていました。

それがスーパーの仕事を始めて

半年ぐらいの頃でした。

スーパーの店員では、

ほとんど字を書くことが無かったので、

論文を書くときに、

全然、漢字が思い出せず焦りました。

今でしたらパソコンを使うと

漢字は読めるけど書けない。

その状態に似ている感じでした。

学び続けないと、

脳が衰退していく!

という恐怖を感じました。

そんなこともあって、

専門学校の選定条件としては、

再就職する時にデスクワークで

仕事の疲れを週末に残さず、

ジムに通えるように

週休二日であること!でした。

当時は、まだ19歳でしたので、

そこまでしか考えられませんでした(笑)。

スーパーは9ヶ月で退職し、

専門学校に入学し、

学生生活をはじめました。

(ちなみにスーパーの同期入社の

半数以上が単純労働に耐えきれずに

辞めていました。)

専門学校は渋谷だったので、

授業が終われば、

友達と遊びに行けますし、

平日でもジムに通える環境でした。

まさに再スタートには理想的でした。

唯一、残念だったのは、

男子のみのクラスだったことです。

他のクラスは女子だけとか、

女子が大勢いたのに・・・(涙)

専門学校は1年でしたが、

今振り返ってみると、

将来のことを考えるのに

貴重な時間だったと思います。

友達と朝まで飲んで、

下北のバス停のベンチで

朝を迎えたこともありましたし、

慣れない合コンに参加してみて、

改めて、モテない、金が無い。

そのことも実感しました(苦笑)。

ジムは週3回程度通っていましたが、

格闘技ですのでケガが絶えず、

治療で練習を休むと筋力が

また元に戻るという繰り返しだったので、

別にプロになって生計を立てようとは

思っていなかったので、

健康維持と考えても怪我が多かったので、

見切りをつけることにしました。

約2年間でしたが、

やらないと気付けないこともあったので

貴重な経験でしたし、

行動して良かったと思っています。

そんな状況でしたが、

運よくバブル景気が

始まっていたので、

再就職は、すんなりと希望の

ところから内定を頂けました。

私が通っていた専門学校でも

求人倍率が、なんと!4倍もありました。

今では考えられません。

私は専門学校に行くという

行動をしたことにより、

デスクワークの仕事、週休二日生活を

手に入れることができました。

(実際は、現場経験を積む

期間がありましたので、

デスクワークになるまで、

更に1年ちょっと掛かりました。)

まぁまぁ満足のいく生き方の

レールに乗ることができました。

ちなみにスーパーの店員だった時の

手取りより5-6万円下がりましたが、

賞与込みで考えれば、

とんとんぐらいの収入でした。

収入面は、そんな感じですが、

自由な時間は圧倒的に増えました。

ジムも辞めたので休みの日は、

会社の草野球チームで体を動かし、

冬は同僚とスキーにいったり、

当時流行っていたパラグライダーや

会社の保養所の安曇野・軽井沢の

ペンションに行ったり、

たまに海外旅行に行ったりと、

有意義に過ごしていました。

その反面、出費も増えましたので、

残業したかったのですが、

労働組合もあり中々できませんでした。

この頃は年功序列、終身雇用が

普通でしたので、

ただただ、

長く勤めさえしていれば、

給料が増え、退職金の積み立て額も

年々増えていきました。

仕事も技術職だったので、

日々新しいことに触れられて、

新鮮な毎日でした。

しかし、そんな順風満帆な人生は

長くは続きませんでした。

人生を再スタートして約9年で、

田舎の父親が癌で亡くなりました。

パソコンと出会い働き方改革を決断をする

自分の人生だけを考えたら、

そのまま東京で定年まで働いた方が、

利口だったと思います。

ただ、どうしても田舎に

一人残された母親のことが気になり、

今の幸せを捨てて帰郷しようか?

すごく悩みました。

こうなるまでは、

気にも留めていませんでしたが、

車が無いと暮らしていけない

田舎で母親一人残され、

どうやって今後生きていくのか?

寝込んでしまったら誰が面倒をみるのか?

働く場所の自由が無い、

奴隷のような感覚

思い知らされました。

父親が亡くなった直後から、

そんなことを考えるようになり、

モヤモヤした状態で、

1年ぐらい経過した頃、

心配していた母親が、

怪我をして入院してしまいました。

家の近くの病院だったら、

まだ良かったのですが、

大きな病院に入院する必要があり、

田舎の実家から100㎞も離れたところでした。

田舎に住んでいようが、

東京に住んでいようが、

看病に行きにくい場所でしたが、

週末ぐらいは顔を出すようにしていました。

1か月ぐらいで退院しましたが、

やはり、親の傍にいる必要がある。

そう思い会社を

辞めることにしました。

後ろ向きに考えていても、

ブルーになるだけなので、

前向きに捉えて、

前職とは全然違う仕事に

チャレンジしようと考えました。

ちょうどその頃、

インターネットが

一般的になりはじめ、

前職で気になっていた、

情報処理関係の仕事を

探してみました。

パソコン、インターネットを

使って仕事をすれば、

働く場所の自由も

手に入ると期待して、

Uターンで再就職を

することにしました。

ただ、それも1990年代ですので、

職場環境的は、まだまだ不充分でした。

当時、プログラマーの仕事は、

「キツイ」「帰れない」「給料が安い」

3Kと呼ばれていて徹夜が当たり前でした。

全くの素人だった私は、

一人前になるまでスゲー苦労しました。

良かった点は、田舎に戻ったとはいえ、

東京にも未練があったので納品の際に

1ヶ月程度の出張があり、

東京の友達とも頻繁に会えたことです。

しかし、仕事の経験値が上がるにつれて、

出張期間が2ヶ月、3ヶ月、半年、1年と、

段々長くなっていきました。

出張は、東京だけに留まらず、

青森、愛知、大阪と段々全国へと

広がりました。

けど、田舎に住民票があって、

東京にも行けるので、

それ程、不満はありませんでした。

母親も、その後大きな病気も、

ケガもなく、

私も二重生活ができている。

たまたま運が良かった

だけだと思いますが、

ITバブルといった

社会環境の変化もあって、

給料も徐々に増え、

実家も建て替え、

まぁまぁ順風満帆

といった状況でした。

しかし、世の中はバブル崩壊、

長いデフレ期・・・

平成に入ってからずっとですよね。

消費税も上がり続け、

ITバブルも終わり、

会社の業績も徐々に

下降していきました。

再就職前に分かっていましたが、

田舎の小さな会社なので

退職金もありません。

35歳定年説、人間誰でも老いる!

一般的に技術職の場合、

「35歳定年説」ということが言われています。

35歳を過ぎた頃に、

記憶力も落ち、体力も落ち、

若い頃のように徹夜もできないし、

開発言語が新しくなると覚えられない・・・。

ある時点から

給料も下がりはじめ、

ただただ定年を待って

時間を費やすだけ、

大手企業に至っては、

40代で肩たたき(早期退職)を

促すところも増えてきました。

確かに大手企業は給料は良いです。

しかし、平均勤続年数

ネットで調べると、

せいぜい10年ぐらいです。

つまり、定年退職まで

勤められるのは、

一握りの人だということです。

ほとんどの会社の社員を見渡すと、

年配の人ほど人数が少ないですよね。

定年まで勤められる人が

少ないからでしょう。

私の生活環境の方も、

母親が80歳を超え、

自動車免許の自主返納も

考えはじめるようになりました。

前述した通り、

田舎で車が使えないとなると、

ほぼ、生活できません。

再就職した頃よりも、

ずっと在宅で仕事をする

必要性が高まりました。

時間と場所に縛られず、お金を稼ぐ・・・。

そんな働き方が必要になりました。

そんな時、

ネットサーフィンをしていて、

ネットを使ったビジネスに

たどり着きました。

パソコン一台で仕事ができ、

時間と場所に縛られず、

お金を稼げる!

実は10年ぐらい前にも

アフィリエイトや自作商品販売の

経験はあったのですが、

充分に稼ぐことができませんでした。

アフィリエイトはワンクリック1円、

自作商品は1万円程度で販売していました。

自作商品はPC環境のバージョンアップに

追従するのが半端なく大変でした。

その当時とネットビジネス業界が

同じようであれば、

時間の自由は手に入れられません。

それが10年経って、

どう変わったんだろう?

その線で調べてみました。

アフィリエイトは種類が増え、

プロモーションアフィリエイトでは、

月100万円稼いでいる人もいました。

自作商品もアプリケーション開発

だけではなく、

趣味と実益を兼ねた情報商材の

販売などもあり、

月200万円以上

稼いでいる人もいました。

10年前、私が自作商品を作って

販売していた頃は、

個人で決済する仕組みを

構築するのが難しくて、

決済代行業者頼みでした。

私が使っていた決済代行業者は、

個人の場合の商品価格の上限が

1万円だったので、

それ以上の商品を

販売することができませんでした。

法人の場合、

上限は無かったのですが、

当時、私はまだ会社勤めでしたので、

個人で商売をしていました。

ブログ環境の構築も、

自作でサーバを構築する必要もなく、

少額で簡単に立ち上げることが

できるようになっていました。

それで、ネットを使ったビジネスを

真剣に学んでみると、

成功のための「型」が

あることがわかり、

それさえマスターして行動すれば、

バイトやパート、会社勤めのように、

時間と場所を拘束されることもなく、

好きな場所で、

好きな時間に作業をして、

個人起業なので

給料ではなく売れれば、

そのまま自分の収入になり、

頑張った分の見返りは全て

自分に返ってきます。

利益が少なかったら、

自分の頑張りに何か問題が

あるということですね。

他責にできないわけだから、

納得ずくで頑張れるので、

不条理な安月給感は、

湧かなくなりました。

また実業のように、

ある固定した場所に

お店を構えるのとは違い、

インターネットを通して

日本全国の人が、

お客さんになる

可能性があるわけなので、

サラリーマンの給料の何倍も

稼げる可能性も秘めています。

また、実業と違って

毎月の維持管理費も、

1万円程度で済みます。

ただどうしても、

ネットビジネス立ち上げ時は、

集中して作業を

しなければなりません。

それさえ熟せば好きな場所で、

好きな時に作業をして好きな時に寝て、

平日の空いている時に

美味しいものを食べに行ったり、

映画館やショッピングなんかも、

ガラガラの時に行けます。

会社員と違って時間に縛られませんから、

退職時期だって自分で決められます。

とにかくネットビジネスは、

ほとんど自動でビジネス展開できるので、

お客さんが増えても、

時間に追われることがありません。

納期や締め切りなんかも、

全部、自分で決められます。

私が欲しかったもの全てが、

ネットビジネスにはありました。

もちろん、実業で体を動かして

働きたいっていう方でも、

ビジネスの

基本を学び実践すれば、

誰でも事業を拡大できる

可能性があります。

サラリーマン経験がある

私としては、

なんか、奴隷から解放された感覚

半端じゃなかったです!

もちろん、失敗する可能性もあります。

正しいビジネス知識の学習を

やれば、やるほど、

成功するための「型」

というものが存在するので、

やることさえやっていれば、

失敗する可能性は、

限りなく低くなります。

会社経営だってビジネスですから、

「型」通りにやっているわけです。

しかし、大勢の人で組織されているので、

みんな「型」の一部を歯車のようにしか

体験できておらず、

ビジネス全体を俯瞰してみる

機会がないんですね。

営業職経験者だったら、

モロに感じるところがあると思いますが、

最低限、商品を買ってくれる

お客さんを集めるノウハウとなる、

マーケティング、

セールスさえおさえていれば、

あとは自作商品を売るか、

他人の商品をアフィリエイトで売れば、

ビジネスとして成り立ちます。

時間と場所とお金の自由を

手に入れるためには、

雇われて働いていたのでは、

絶対に達成できません。

今思えば学校教育で、

「卒業したら就職するのが当たり前」

のような雰囲気がありますが、

サラリーマンを

経験してみて思ったのは、

確かに納税の義務はあるけど、

年金の受給開始年もどんどん

先延ばしになったり、

人生100年時代とか

言われるようになると、

定年退職まで働いても、

必ず再就職が必要で、

安い給料で雇われ、

時間と場所の自由を奪われる

ような生き方しかできず、

楽しい老後生活なんて到底叶わない!

ということに気づきました。

また、仕事で無理をすると、

健康にも害が出て、

老後は寝たきりなんて、

最悪じゃないですか!

私はネットビジネスに賭けてみて、

良かったと思っています。

とは言っても、

人生の全てを賭けて

やってみるというよりは、

自分の可能性を

試してみたいという感じです。

副業も法的に

認められているので、

とりあえず、

そこから始めている人も

いっぱいいます。

ただ、副業というのは、

今ある自分のスキルで行う、

時間労働が大半なので、

いずれ行き詰まると・・・。

私は思っていますけどね。

如何せん、会社側も大変でしょうが、

大企業でも、公務員でも、

雇われて働いていたら、

成果に見合う報酬は期待できません。

それを「困った時はお互い様!」

と考えて納得できる人は、

それでもいいと思います。

別にそういった生き方を

否定するつもりはありません。

世の中には年収数千万、数億、

稼いでいる人がいます。

それは「月給・時給いくら?」

という契約で働いていては、

絶対に達成できません。

同時に、時間や場所の自由も

奪われることに繋がります。

それを実感したので、

それだけはイヤダ!と、

私は思うようになりました。

話がちょっと逸れましたが、

80歳過ぎの年老いた親に

今からスマホを覚えろとか、

キャッシュレス決済しなさい!

なんて、言ったって

無理だと思いました。

掃除機の蓋すら説明書を見ても、

閉められないレベルなんですよ、

うちの親は(笑)。

誰か傍にいてフォローする

必要があるわけです。

ここまで強調すると、

なんかマザコンみたいに

感じる人もいると思います。

ここで伝えたいことは、

「人間誰でも老いる!」

ということです。

今普通にスマホとか、

5G、AI、6Gとか、

扱える若い世代だって、

30年後、40年後に

全く新しい技術が開発され、

どう使っていいのか?

わからなくなる時が、

歴史的に見て必ず来ます!

年老いて今まで普通に

できていたことが、

出来なくなる時が必ず来ます!

年寄りを労わる広い心を

持って欲しいと思っています。

年寄りを排除するような

社会になると、

自分が老いた時、

同じ苦しみを味わいますからね。

それを無くすためには、

常日頃から家族を大事にする

必要があると思っています。

充分なお金があれば、

大概のことは解決できますが、

傍にいないと助けて

あげられない場面があれば、

時間と場所の拘束の無い、

自由が必要になります。

自己都合100%の自由な毎日が待っていた

私は時間と場所の自由を

手に入れるために、

50歳を過ぎていましたが、

起業の道を選びました。

苦労した時期もありましたが、

徐々に収益は伸びていき、

1年後には、お金と時間の

自由が手に入りました。

個人でビジネスをして

良かったと思うのが、

働く時間と働く場所を

気にしなくて良いことです。

私は平日の空いている

時間帯を見計らって、

行列で待つことなく

外食をしています。

ちょっと高めの和食屋さんですが、

他のお客さんもそれなりの収入が

ある人が集まるので、

ビジネスに使えそうな、

色んな情報を交換できます。

旅行などもピーク時を避けて、

いつでも行けます。

先日も帰りの切符も買わずに、

ふらっと出かけてきました。

ネットを使ったビジネスは、

自動化が可能なので、

一週間、遊んでいても、

何の問題もありません。

思いっきり遊んで家に帰ると、

旅費よりも多く稼げていたりします。

この前も東京の行きつけのフレンチで、

ワインを飲みながら、

アメリケーヌソースで

オマールエビを堪能しました。

それこそ、

「今日は天気がいいから○○しよう!」

と思ったら、

いつでも、すぐにできる感じです。

家族がご一緒の方であれば、

学校の行事に参加する時間も

余裕で確保できます。

街を散策したり、

映画を観たり、

マンガを含め読書をするのも、

ビジネス情報を仕入れるために

必要なルーティーンです。

私の知人でネットを使って

ビジネスを始めた元居酒屋店長は、

お子さんの林間学校に参加するため、

平日、一泊二日で軽井沢に行ったり、

PTAでも活躍しています。

こんな感じで自分の都合を優先して、

生活を送っています。

もう一つ、

起業して良かったなと思うのが、

物事の見方、捉え方がビジネス視点で

見れるようになったことです。

繁盛している店やネットで

人気があるサイトなどを見つけると、

どういったロジックで

収益化しているのかが、

わかるようになりました。

そこから新しいビジネスの

アイデアを考えることができ、

事業の拡大に

繋げることができます。

私は元々、時間と場所の

自由が欲しいという理由で、

ビジネスを始めました。

サラリーマンとして

やりたいことは、

もう、ありません。

昔の同僚の愚痴を聞くのも

避けたいです(苦笑)。

(もちろん、

サラリーマンとして、

誇りを持って働いている

人もいると思います。)

私は、自由な時間を

手に入れたことで、

学生時代に勉強したり、

遊んだりしていた時のように、

自分の創造力を掻き立てるのに

役立っています。

毎日、お金を稼ぐことに

時間を使い過ぎていると、

新たな発想や創造はできません。

また、子供の成長に親と接する時間

重要なことは明らかになっています。

このようにみていくと、

お金が必要なことは周知の事実ですが、

それよりも時間の方が、

如何に大事なのかがわかってきます。

当たり前ですが、

誰でも平等に1日24時間しか

神様からは与えられていません。

そのほとんどを

お金を稼ぐために、

多く費やすということは、

大変な損失だということです。

なかなか実感が沸かない

かもしれませんが、

時間は有限です。

例えば、一日の睡眠時間は、

理想としては8時間ぐらいですので、

一日の三分の一ぐらいですよね。

そうすると、

60歳の人でしたら20年間は

寝ているわけです。

絶対に必要なんですけど、

凄いですよね。

60歳の人でも、

起きて行動できているのは、

40年間だってことです。

お金は、頑張れば

稼ぐことができます。

しかし、時間はそういうわけには、

いかないということです。

子供の将来を左右するかもしれない

時間を自由に使うためにも、

個人でビジネスを始めて、

解放されるべきだと、私は思います。

決して会社員が絶対に

ダメだとは思いません。

ただ、私は自由な時間が

必要だったわけですが、

お金のため、生活のため、

何十年もの人生を棒に振る

可能性がある人たちをみると、

なんか勿体ないなーと

思うんですよ。

人生は一度きりです。

どんな生き方を

するのも自由ですが、

一人でも多くの人が

後悔のない生き方を

できるようになれば

いいなと思っています。

雇われ人生に

疑問を抱いているけど、

どうすればいいか

分からない人に、

何か気づきに

なればいいと思って、

今回の記事を書きました。

この内容が参考になれば嬉しいです。

動画紹介

人生の夏休みを手に入れるために必要な

お金の知識について解説しています。

聴き流すだけでも学びになりますので、

ぜひ、視聴してみてください。

自由と幸福感について考えるのに、

以下のブログも参考になります。

以前、「自由な人生を手に入れるにはどうすればいいか」っていう動画を配信したことがあるんですけど、もっと、根本的なところで自由・・・自由な状態って、どうなることなのか?その辺を改めて整理して、私自身の考える人生観も交えて解説してみたいと思います。少なくとも、お金が全てではありません。時間の自由が無ければ不幸です。

自由で豊かに生きる方法を学んでみよう!


私は、脱サラしてネットビジネスで自動で稼ぎ、
お金と時間に縛られずに自由に生きています。


単身赴任も、満員電車も、嫌な上司も無縁で、
田舎で家族や友達との時間を大切にして、
毎日自分のやりたいようにストレスフリーで生活しています。


とはいえ、私に最初からネットビジネスの知識が
あったわけでも、ビジネスの才能・センスがあったわけでも、
裕福な家庭で育ったわけでもありません。


もともと人間嫌いで、一人で行動するのが好きで、
人付き合いが苦手で、常に自分が好む人とだけ接していたい、
会社でも「働かないおじさん」というダメダメ人間でした。


毎日、スーパーのチラシをみて、
”食べたいものより、安いもの”を探し、
少ない給料をやりくりしながら生活する
貧乏時代もありました。



ネットビジネス知識も人脈も資金もゼロでしたが、
自由を夢見て思い切って飛び込んでみて、
短期間で人生が180度変わったのです。



私と同じ起業家仲間も、非正規労働者、高卒フリーター、リストラ組、
いじめ、対人恐怖症、うつ病などマイナスからスタートして、
半年、1年ぐらいで月収100万円を突破しています。


これまでどんな悲惨な人生を歩んでも、
諦めなければ誰でも理想の人生は手に入ります。


今の日本は納税のため、生活のため、
イヤイヤ働かざるを得ない人が大勢います。


(先進国で「勤労の義務」があるのは日本だけとか)


マイホームを持つと「単身赴任」は、
サラリーマンでは良く聞く話です。


(結婚したり、ローンを抱えてたら、
 簡単に会社をやめないだろうっていう・・・
 人の弱みに付け込んだ人事)


ある意味、家族まで犠牲になるわけです。


私は、そんな労働に支配された人生なんて、
奴隷みたいで絶対嫌だ!と思っています。


どうせ一度きりの人生!



我慢・我慢で一生を終えるより、
自由に好きなように生きるべきです。


とはいえ、何をどうしたら良いのか?
分からない人がほとんどだと思います。


そこで、私がどのように脱サラから
ネットビジネスで成功したのかを
まとめた電子書籍を作成しました。



すでに読んで頂いた方からは、
「力強く熱意のこもった文章に感動しました」
「成功するための道がみえました」
「お金と時間の知識を知り、不安の根源がわかりました」
など、嬉しい感想をたくさん頂いております。



電子書籍出版のお声がけも頂いておりますが
多くの人に読んで頂きたいので、


期間限定で無料公開しています。



無料ですから、興味があれば覗いてみてください。
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私の経歴は、こちらの記事で詳しく書いています。
自由を手に入れるまでの軌跡と思い




最後まで読んで頂き、ありがとうございました。