こんにちは! せがひろです。
今回は、「悟りは3秒あればいい」
これについて解説します。
著者の小林正観さんは、
斎藤一人さも影響を受けたと言われている
とても有名な方です。
悟りに関する内容ですが、
悟りとは実は精神論の話ではありません。
いかに幸せに「楽」に、
「得」をして生きるか!?
スピリチュアルや悟りは、
実は、超現実的な損得勘定のお話です。
この本は合理的に考えて
こういう考え方や、こういう生き方をしたら、
一番楽だよね。楽しいよね。
というのを突き詰めた本です。
その中で特に気になった
「幸せを感じるアンテナ」
これをメインに説明します。
スピリチュアルというと
敬遠する人もいると思います。
しかし、科学的に正しいことも、
突き詰めれば、確率論となり、
うまくいく人と、
そうでない人が出てしまいます。
それに対して、
スピリチュアルというのは、
実績に基づく統計・傾向だと
思っています。
いずれにせよ、
自分が当てはまる場合もあれば、
そうでない場合もあるということです。
スピリチュアルといっても
実践に基づく統計・傾向なわけですから、
知っておいて損はないと思います。
洋服を選ぶのに試着するのと同じで、
試してみて合うものが
見つかるまで探せばいい
私は、そう思っています。
このブログは無料で公開していますから、
ぜひ、知識だけでも手に入れて欲しいです。
それでは、本編に移りたいと思います。
すべてが大事
まず幸せそのものではなく、
モノの見方について話します。
理由は、幸せに大きく関わってくるからです。
私たちは、ついつい重要なことと、
そうでないことというように物事を分けてしまう
「癖」があります。
例えば、ついつい大事な
仕事があるからといって、
家族と過ごす休日を
キャンセルすることがあります。
これは家族と過ごす
日常の何げない時間が、
「それほど重要ではない」
そう判断しているせいです。
また、恋人との関係が親密になって
慣れてくるときちっとした服装ではなく、
だらしない服装で
会ったりするようになります。
服装が段々だらしなくなるのは、
最初のデートはとても重要だが、
関係が慣れてきたら毎回のデートは、
それほど重要ではないと考えているせいです。
取引先の社長には精一杯、
気を配りますが、
その会社の受付や掃除のおばさんには、
いちいち気を使ったりしないということも
やってしまいがちです。
このように私たちは、「重要なこと」と
「そうでないこと」、
「重要人物」と
「そうでない人」というように、
人や物事を2つに分けてしまう癖があります。
でも、これは正しくありません。
決して、道徳的な意味で
言っているわけではありません。
物事の事実として正しくないのです。
道徳論などではなく、事実として
全てが大事なんです。
なぜなら、全ての物事から
人は影響を受けているからです。
どんな物事も、その人の人格や
人生に影響を与えています。
そして、どんな人物も、
その人の人生に影響を与えています。
実は、その一見、些細に見える物事や
人物を通して人生が作られていくんです。
ですから、些細なこととか、
そんなに重要じゃないことと思って、
適当にあしらってはいけません。
くだらないものとか、
つまらない瞬間など、
この世に存在しません。
全ての瞬間が自分の人生に
大きな影響を与えて、
自分自身を形作っていきます。
言い換えると、
些細なことに思える瞬間・瞬間に、
どう向き合うかで、その人の
人生が決まっていくということです。
本には次のように書いてあります。
大事なことと大事ではないこと
というふうに区別はできません。
白は黒がなければ際立たないし、
黒は白がなければ際立たない。
どちらも大事なんです。
それと同じで、
今まで出会ってきた人たちを
大事・大事ではない
という風には分けられません。
全ての人たち、
全ての物事が大事だった。
人生における瞬間・瞬間の経験というのは
ドミノ倒しのようなものです。
その一つ一つのドミノは、
材質も形も重さも、
実は全て同じなんです。
目の前に起きること全てが
同じ価値を持つこと、
つまり、「全てが大事なこと」「全てが大事な人」
ということがわかったら、
「大事なこと」「大事ではないこと」が
分けられない、ということに気付きます。
これにより目の前の現象に
一喜一憂することがなくなります。
このように、全ての出来事が等しく
重要なことというのが分かると、
日常に見えるものが違ってきます。
つまり、日常生活での
「感度」が変わるんです。
「感度」が変われば、
毎日が「刺激的」になるし、
幸せな人生にもなります。
幸せとは感じ方
感度とは、言い換えるとアンテナのことです。
(「鼻が利く」とも言えるでしょう。)
日常の何気ない瞬間を
敏感にキャッチする能力のことです。
この能力さえあれば、どんな環境でも
毎日が刺激的になって、
たくさんの幸せに気づくことができます。
幸せとは、本当は確固たる
基準があるのではなく、
ただ単に、「自分が感じるもの」です。
「幸福度」も、そうですが人によって
何を幸福と感じるか違うわけです。
何かを手に入れたり、
何かの状態になったりすることで、
幸せになるのではありません。
たとえ、何かを手に入れたとしても、
その人が幸せだと感じなければ、
幸せにはなれません。
その逆に、別に何かを手に入れなくても、
「感じ方」次第でいつでも幸せは手に入るんです。
幸せとは、完全に
その人自身の感じ方次第なんです。
例えば、貧乏だけど
毎日お米が食べれることに
幸せを感じる人がいれば、
その人は幸せか?
そうです。その人は幸せです。
もしくは、趣味なんかは
典型的ですよねー。
魚釣りが趣味の人は、
素手で魚を触ります。
でもそうじゃない人は、
生臭くて嫌がります。
山登りが好きな人は、
数日間、風呂に入れなくても、
水洗トイレがなくても気にしません。
でもそうじゃない人には、
考えられません。
好きな人は、趣味を通して幸せを感じ、
そうじゃない人は、興味すら示さない。
幸せについては、他人がどのように
評価するかは一切関係ありません。
その人は心の中で
幸せを感じていれば幸せなんです。
本人が幸せを感じていれば「勝ち」
というシンプルな世界です。
他人がとやかくいうものではないし、
どちらがより幸せか?
というように比べるものでもありません。
現状に幸せを見つけられる人は、
「勝ち」なんです。
不幸とは
そして不幸とは、
その人を取り巻く
外部の環境のことではなく、
幸せであることに気付けない
内部の心の状態のことを言います。
どんなに豪華な暮らしをしていても、
その生活が当たり前になって、
日常の食事や暮らしっぷりに
幸せを感じなくなったら、
その人は不幸な人です。
幸せは常にあるのに、
それを感じる心がない。
それが不幸なんです。
つまり、幸せを感じるアンテナを意識して
感度を上げましょうということです。
本には次のように書いてあります。
普通に何事もなく淡々とした
毎日を送れていることに幸せの本質がある。
その淡々とした現実を否定して
それをやめようとした瞬間に、
人生は辛くなる。
幸せの本質とは、
何か楽しいことが起こることではなくて、
何も起きない淡々とした日々が続くことが
幸せと感じるところにあるんです。
そして真実としては、世の中には
良いことも悪いこともありません。
ピンチや悲劇、
辛い出来事が起こらない一方で、
嬉しい、楽しい
出来事も起こらないんです。
実際、起きていることは、
全て「ゼロ」なんです。
そのゼロの出来事、全てを
ありがたく感じることが大切です。
どんなことが起きても、
楽しく感じるようになりました。
一喜一憂しなくなりました。
ということが、
本当に現象を捉えているということです。
幸せを感じるアンテナが大きくなったことで、
喜びが増える。
これが幸せというものの本質なんです。
(この本で伝えていることは日常であって、
戦争・紛争地域のことは除外していると思います。)
幸せを感じるアンテナの感度を上げる方法
そして本には幸せを感じるアンテナの
感度をアップする
シンプルな方法が書かれています。
それは、どんな些細なことでもいいから、
毎日、最低一つは幸せだと思えることを
書き出していくことです。
本には次のように書いてあります。
どんなことでも良いんですが、
毎日一つ以上、
・嬉しかったこと
・楽しかったこと
・幸せに感じたこと
これを手帳に書き出していくんです。
無理やりでも構いません。
「お弁当の唐揚げが美味しかった」
「赤信号に引っかからずに会社に行けた」
「道端に花が咲いていた」など、
何でもいいんです。
それを毎日続けることで、
喜びを感じやすい体質に変わっていきます。
少々辛いと感じることがあっても、
この手帳を読み返すことで、
どんなに自分が恵まれている
環境にいるのかに気付くようになって、
幸せを感じるアンテナの感度がアップします。
まとめ
この本を読んで、
違った解釈をする人がいるだろうな。
それが、現実世界だと思いました。
「彼女と付き合いたい!それが俺の幸せだ」
そう考えてしまったら、
相手の気持ちなんて考えずに
ストーカーってことになることもあるでしょう。
途中でも触れましたが、戦争や紛争も、
それぞれの「幸せの価値観」
があるから起こるわけですよねー。
つまり、法律みたいな世界共通の
幸せの価値観というものがないから、
「自分が正しい」の応酬になるのだと思います。
「歴史は繰り返す」とも言いますが、
このままだと大変なことになると悟り、
三大宗教の教祖が立ち上がり、
幸せを布教しようとしたのだと思います。
それが現代では、世界秩序として
色々と共通認識を持とうとしていますが、
折り合いがついているところもあれば、
ついていないところもあるわけです。
極論を言えば、国と国が交わらなければ
争いごとは減ると思います。
そう考えると、江戸時代の鎖国というのは
理にかなっていたのかもしれません。
しかし、便利な生活を知ってしまったがために
戻るというのは一筋縄ではいかないでしょう。
エアコンやシャワートイレの無い生活に
戻れますかって話です(苦笑)。
ただ、途中でも触れた趣味の話のように
共感する者同士が幸せを感じ、
自分の幸せの価値観を強要しないのが、
一番だと思いました。
あなたは、どう感じましたか?
この内容が参考になれば嬉しいです。