こんにちは! せがひろです。
みなさんは、論破王の
ひろゆき氏をご存じですか?
私は、彼の物言いが大好きで、
書籍の感想をブログ記事で
投稿したりしています。
彼の代表作『1%の努力』では、
「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、
思考の原点をマジメに語っています。
参考になる書評ブログは、
以下になります。
今回は、ひろゆき氏が語る、
人と比べないための「ずるい」思考法
これを紹介したいと思います。
引用元:DIAMOND online
最初に、この記事で伝えたい、
結論を話すと、
自分の人生を誰かの人生と
比較するのは辞めましょう。
ということです。
自分の人生が豊かであるかどうかは、
自分が判断するものです。
こんな当たり前のことが、
出来ていない人が一定数いると思います。
その要因は?
例えば、サラリーマンとして
働いていて同僚の給料を知った時、
もし、自分より貰っていたら、
劣等感を感じたりします。
逆に多ければ、
立場が逆転するでしょう。
そこから争いが始まったり、
あるいは、会社に抗議するなんて
こともあるかもしれません。
テレビやネットでも、
金持ちアピールしている情報を
良く見かけます。
私が社会人になった
1990年代頃は、
給与明細は
同僚に絶対見せるなと
人事部から
口酸っぱく言われてました。
他人は他人、
自分は自分です。
誰かと比較したり、
何かと比較し始めると、
もはや自分の人生を
歩めなくなってしまいます。
自分はどうありたいのか?
それが達成できたら
いいじゃないですか。
それが比較対象を意識した瞬間、
自分の人生を歩めなくなり、
不毛な争いが始まってしまいます。
他人なんてどうでも良くね!?
ひろゆき氏の言葉を借りて、
解説していきたいと思います。
幸せを左右する究極の質問
個人の「考え方」には、
幼少の頃からの家庭環境が影響する。
これは、僕が大人になってから
カルチャーショックを受けたときの
エピソードだ。
早速だが、1つ質問がある。
「あなたの家には、
エッグスタンドがありますか?」
ちなみにエッグスタンドとは、
食卓のテーブルの上で
「卵を置くため」
だけにある器のことだ。
「エッグスタンドくらいあるでしょう」
「エッグスタンドって何? 見たことないんだけど~?」
反応は2つに分かれると思う。
このような問いかけをしています。
要は、他人の比較した人生は、
不幸になるよ。
そう言いたいのだと
受け止めました。
色々ありますが、
サンタクロース論争
例えば、小さい頃にサンタクロースが
来る家と来ない家!?
サンタクロースを知らなければ、
どうってことありません。
しかし、学校やテレビ、SNSなどで、
その存在を知った時、
子どもはクリスマスに
枕元に靴下を置けば、
サンタさんがやってきて
プレゼントをくれる。
そう信じてしまいます。
親も、それに応えようとします。
翌日学校でサンタが来た、来ない、
何を貰ったなど話題になります。
「どうして、うちにはサンタさんが来なかったの?」
プレゼントを貰えなかった子供は、
そうやって親に詰め寄ったりします。
存在を知らなければ、
論争になることもありません。
比較対象がいるから、
揉める原因になるわけです。
サンタさん問題の対応は、
親としては夢を壊さないようにしつつ、
子ども自身に考えさせるように
受け答えするのが良いそうです。
子ども「サンタさんは本当にいるの?」
親「あなたはどう思う?」
子供がいると信じている場合、
親「ママもいると思うけどなあ」
子供が信じていない場合
親「いないのかなあ」
要は、子どもに逆に質問するような
ニュアンスで誘導していくことにより、
物事を筋道立てて考えられるように
なるそうです。
間違っても、
親の方から「いる」「いない」を
断定しない方が良さそうです。
あなたは「金持ち」をどう見る?
僕の考えは、こうだ。
卵を置くためだけに食器があるって、
おかしくないか???
<中略・・・>
たしかにエッグスタンドは
売っている。
それまで目に入らなかったものが
顕在化されてしまった。
さて、なぜ、
こんな話をしたかというと、
比較対象が現れたときに、
どう受け止めるかで
人生はけっこう
変わる気がするからだ。
「ああ、私の家はエッグスタンドも
ない家なのか。恥ずかしい……」
そう受け取る人が
一定数はいるのではないだろうか。
正に、ひろゆき氏らしい
発想だと思いました。
身近なところで
食べ物もそうだと思います。
カレーやラーメン・・・、
見たことも聞いたことも無ければ、
食べたいとは
思わないですよね。
だって、知らないんだから・・・
トリュフ、キャビア、フォアグラ
世界三大珍味だって同じことです。
知ってしまった、
顕在化してしまったことにより、
知りたくなったり、
興味を持ち、
食べてみたいと思うでしょう。
また、知らなかったことを
恥ずかしいと思ったり、
知らないから聞いた話の
確からしさも判断できません。
じゃあ、どうやって正しく
知るかというと、
自分が信頼している人に聞く。
あるいは、論より証拠で、
実際い自分で食べてみる
しかありません。
特に食べ物だと言葉で
説明するのは難しいですよね。
食べたことのある、
他の何かに例えて説明するぐらいです。
三大珍味などは
一定の年齢になると、
食べたことが無いと恥ずかしいと
思うかもしれませんね。
テーブルマナーも知ってしまうと、
行儀が悪いって思うでしょう。
それもテーブルマナーというものが
あると知ったからです。
ただ一つ言えることは、
カレーやラーメン、三大珍味も、
食べていなくても、
今まで生きてこれたわけです。
TV番組の「格付けランキング」でも、
芸能人が外しまくってますよね。
そんなもんなんですよ。
こうやれば、人と比べなくなる
ここでいう「エッグスタンド」は、
例のひとつにすぎない。
「幼稚園の頃にお受験をしたことがある」
「海外へは必ずファーストクラスに乗っている」
「家にはサッカーができるほど広くて大きな庭がある」
社会に出たり、SNSを開くと、
比較する機会が増えていく。
<中略・・・>
生きていく限り、
つねに「比較対象」に晒される。
でも、比較対象がないほうが、
人は幸せなんじゃないか。
そう思うと、
「自分はこうやって生きてきた」
ということを
ちゃんと軸として
持っておくことが必要だ。
人を羨んでしまいそうなときに、
この言葉を思い出して立ち戻ってほしい。
「エッグスタンドなんて、いらなくない?」
すると、人生におけるさまざまなことを
内省(反省)することができ、
ぐっとラクになることだろう。
子どものお受験 = エッグスタンド
ファーストクラス = エッグスタンド
大きい庭付きの家 = エッグスタンド・・・
瞬時にそう置き換えるようにすればいい。
さもエッグスタンドを持っていることを
当たり前のように語るやつに、
劣等感を持つ必要はない。
この思考法は、
僕が考える「1%の努力」の一例だ。
ぜひ、取り入れてみてほしい。
このように解説しています。
要は、本来の価値に注目しよう!
そういうことだと理解しました。
仮に情報を知っても、
今まで困ってなかったのであれば、
どんな価値を与えてくれるのか?
それは本当に必要なのか?
人は人、自分は自分。
自分の人生や目標に必要なものなのか?
他人の目を気にすることなく、
見定めるべきです。
世間体を気にすることなく、
自分の評価基準を意識しましょう。
誰かを幸せにするための
行動は良いとして、
誰かに影響を受けて、
自分の目標が変わるようでは、
いつになっても幸せを
感じることができません。
ぜひ、ひろゆき氏の言葉を参考に
自分を見失わない
ようにして欲しいです。
この内容が参考になれば嬉しいです。
動画紹介
今回の内容について、
参考になる動画を紹介します。
ぜひ、視聴してみてください。